2013/04/23

教科書を3度読むということ。

少し前に「東大生がやっている勉強法」という記事がWeb上に投稿され、反響を呼んだ。
具体的には、教科書は3回繰り返して読め!という内容だった。

このエントリーに対して、ある批判が寄せられた。
「この勉強法は、もともと要領の良い人間にしか役に立たない」
「3回読んだだけでマスターできる頭脳の持ち主だからだろ」
といった内容だ。この意見はあながち間違いではないだろう。

ただ、要領を良くする方法、というものがある。
何となく3回流し読みするだけでは(多くの人は)身に付くとは思えない。
つまり、3回それぞれの目的に見合った読み方が要求されるのではないだろうか。

そこで、今日は「教科書を3回読むときの方法論」について考えたい。


大村・楠美『ファイナンスの基礎』きんざい(2012)の冒頭を見てみよう。
MBAのファイナンス論のテキストとして編集された書籍だ。
この書籍では3段階に分けて読み込むように勧めている。


第1段階:最小限の理解

細かい数式展開などは無視して大意・文脈を掴むステージ。
(地歴公民で言えば、専門用語や補論部分が該当するだろうか)

特に、予備知識のない分野を新たに学習する場合には重要なステップとなる。
そのテキストが難しすぎるのであれば、入門書や平易な読み物を探すと良い。
(個人的にはWikipediaの体系的な記事は全体像を把握するのに役立つのでお勧め)

この段階で嫌気がさした人は、嫌気が抜けるまで放置するのも良い。
焦ってアレルギーになってしまうほうが望ましくない、と著者は言う。


第2段階:理解の確認

数式を丁寧に追いながら、文章内容を理解できているか確認するステージ。
電車の中では難しいので鉛筆を持って机の上で取り組む方が良い、という段階。

飛ばされている行間も自分で埋めて行く心づもりが推奨されている。
(数学・物理・化学・生物は多かれ少なかれ該当するのではないか)
(地歴公民ならノートにまとめる段階?)
(語学なら章末の練習問題を実際に解く段階?)


第3段階:基礎知識のマスターレベル

気になっていた定理・公式・証明(所与としたもの)にも目を向ける。
(地歴公民なら専門用語のマニアックな背景知識などが該当?)
(物理・化学ならまだ解いていなかった応用問題とか?)

ここまで来ると自主的に取り組めるようになっている。
文章や図解、数式も見慣れたものになっている。
つまり、基本的な知識については定着している状態と言える。


…とのことです。
この1−3段階に合わせる形で3回読めば効果的なはず!

言われてみれば当たり前な内容ではあります。
しかし、これを徹底できるかどうかが重要ではないでしょうか。
欲張って一気にやろうとしても尻窄みになってしまうかもしれない。
1つ意識しておく言葉があるとすれば「困難は分割せよ」だと思います。

おわり。

2013/04/16

Re: 未だに大学で納得できないこと。

前回のエントリーに色々と反応が寄せられたので、少し思ったことを書いておく。
人によっては不快に思うかもしれないのでご注意を。
非常に長いので、「>8:講師との相性に依存しすぎる」の部分だけでも結構です。


<twitter>
http://togetter.com/li/487953

まず、かなり挑発的なまとめ方をしたことについて。冒頭で断っているように、非常に一方的・恣意的な編集をしている。twitterの利用規約・法律上の問題はないのでモラル面の話になる。個人の価値観にも寄るが、私は「このような使われ方は不快だから消してくれ」と連絡を受けても消さない、これは黒だと考えている。ただ、メッセージ性を持たせるために恣意的な編集を行うことはグレーゾーンに含まれると考えている。というか編集行為はそういうものだと思う。そして、前回のエントリーに対するtwitterコメントの中には、まさに「メッセージ性を持たせるために恣意的な編集」を行っているものが多い。学生の努力が大事なのは当たり前ですよ、ということを断っているにも関わらず、「本人の努力不足だ」「甘えるな」と、まるで「1人1人の学生の努力を全く考慮していない」かのように再編集してメッセージを発信している。そのような意見に対してのみ、こちらも同じように対処した。

この行為に特に意味はない。強いて言うなら「自分はこんなに頑張って成果を出せたんだからこのシステムでいいだろ!」という、とても研究経験があるとは思えない大学院生の発言に、アメリカンジョーク的な面白さを感じたのでぜひ共有したかったからだ。マルクスやウェーバーの権威に頼ることでしか、あるいは「自分は達観していますよ」「何をこいつはこんなに焦っているだろう」とアピールすることでしか、自分の意見の説得力を保てないというのは、ちょっとまずいんじゃないでしょうか。などと煽ってみる。ただ、この発言をした人よりも、この発言を無批判に受け入れた人の方がヤバい。


次に、賛成意見・反対意見・中立意見について。やや強引だが、簡単化のためにこの分類で話を進める。賛成意見は、まさに同じことを少しでも思ったことがある人。中には「さすがに今の自分はそう思わないけど、そうなった方がいいよね」という意見もある。私の実際の立場もここに近い。ここに近いからこそ、新入生の相談を受けるまで言語化しなかった。ただ、実際に悩んでいる人の話を聞くと、全てを個々の責任にするのも少し酷な気がする。この例が正しいかは分からないが、貧困を全て本人の努力不足によるものと決めつけて社会保障をカットするような政府があったら、それは極端じゃないだろうか。

反対意見はいくつか挙げられるが、本人の努力だけに責任を押し付ける意見が論外だということは繰り返しておく。最も重要なのは、大学が経営組織である以上、必然的に生じる制約に関する意見だ。この部分について関係者の方(?)が分析を行っていただいたようなので後ほど取り上げる。

中立意見の多くは「自分の大学生活ではそう感じることはなかった」というものだ。自分自身に問題意識はないが、問題意識を持つ人もいることに新鮮さを感じた、という意見である。非常に参考になった。例えば、京都大学では授業の潜り込みが容易で、24時間自習室が使えるといったエピソードが挙げられている。また、必修科目が大部分を占める、いわゆる理系の学部では、授業選択に伴う不具合が少ない、やることが決まっているから悩むこともないといった指摘もある。後者はまさに「基礎教科については共通の教材・試験・評価方法を導入すべき」という前回エントリーの内容と整合的になっている。中立意見の方々には、このように「自分が不満を感じることがなかった理由」を挙げていただいて、前回エントリーの内容に対して補完あるいは修正を促すような指摘をしてもらいたかった。

もう1つ、はてぶコメントで挙げられていた中立意見。大学での学習が理想通りに行かないことを通して社会を学べる機能がある、とのご指摘があった。日本の大学が事実上、高校生と社会人の橋渡し期間となっている以上、この指摘は正しい。正しいが、大学に限らない。アルバイトでもサークルでも就職活動でも同じことを学ぶことができる。大学の社会的な機能の1つとして認めざるを得ないし、この指摘はもちろん正しいし、学生1人1人がポジティブに現状を捉えて学びに活かすことは重要だが、この意見は「現状のシステムの改善を志向すること」とは直接的に関わらない。個人単位で考えると素晴らしい指摘だとは思う。


<はてなダイアリー>
http://d.hatena.ne.jp/next49/20130415/p1

唯一マジメなコメントをいただいたと思っているので、このエントリーにはマジメにコメントを返す。

まず、前提部分。

切り取る世界:未だに大学で納得できないこと。で列挙されている不満点についてのコメント。不満点を言語化したのはとても有意義。でも、Togetter:「未だに大学で納得できないこと」に対するコメントは、煽らないでまとめれば建設的な意見が集まると思う。

この部分からして認識にギャップがあることを断っておきたい。不満点を言語化したことはそもそも有意義ではない。不満点を改善しようと実際の行動に移す人間が現れた時点で初めて有意義になる。いくらそれっぽいことを言っても、現状が変化しないのだから、糞以下だと思っている。糞は肥料になるが、ブログ記事はサーバーの電力消費にしか繋がらない。行動に移されないのだから、便所のラクガキのようなもので、始めから真剣に扱うほどの価値などないと思っている。また、煽って拡散させたからこそあなたの目に留まったんですよね?ということも言っておきたい。失礼な人間だと感じられるかもしれないが、本気でこのように考えているので、この点は断っておく。


次に、分析内容。


>1:取りたい授業が取れない。

おおむね同意。毎年開講できない授業のオンライン化だと一方的な聴講スタイルしか取れない、という部分については、「それでもいいから受講したかった」「それさえできないことに不満を持っている」という人が一定数以上は存在するのではないでしょうか。チューター制度を活用した課題添削など、工夫できるところは工夫しつつも、妥協せざるを得ない部分は必然的に出てくるはず。


>2:説明が分かりにくい。

前半部分は同意だが、後半部分「学生が質問すればいい」については、「なぜ質問しない学生が生じるか」という点から授業デザインの問題にまで発展させてほしかった。会議で部下が積極的に意見を出さないときに、部下の問題として割り切っても、その会社の会議が改善されるわけではないのと同じだと思っている。

予復習については同意。ただ、「理論の計算をやっていたはずなのに、突然歴史的経緯を話しだしたのはなぜ!?」というのは皮肉です。きちんと議論の展開に沿って話をしろよ、余談するのやめろよ、という愚痴です。要領の良い人は余談だと理解できても、テキストや試験内容が教授によって異なると「ここも重要なのではないか」と学生側は思ってしまうことがある上に、実際にそこを試験に出して「出席していたら答えられただろ(ドヤッ」という教員の話をたまに聞きます。これを直すために基礎教科は教材・試験・評価方法を統一したらどうだろうか?と述べたのです。「専門用語を知っていて当然だという説教ばかりで用語自体の意味は何!?」も同じで、説教ではなく内容について授業をしろ、と言いたいのです。教授の公開オナニーではなく、学習の場として機能させるために、基礎的な授業を、裁量メインから規制メインへとシフトさせるべきではないか、という意見。


>3:テキストが分かりにくい

価格について、参考書の活用についても同意。ただ、分野によってはそもそも代替テキストが見つからない場合も多い。なので、上級生や院生のテキスト開発を奨励すれば良いのではないか、と提案している。在学中に「難しい教科書を分かりやすく解説した本を書きました」といってヒットしている例がある。そうでなくとも、ゼミや研究室で先輩が後輩向けに資料を作ることは珍しくない。この部分の言及がないのは少し残念。


>4:席が取れない
>5:図書館が24時間空いていない

ここは完全同意。根拠も対策もこの通りだと思う。補足情報も参考になる。


>6:家や活動エリアから遠い

「入る前にわかっていることなので、これについては大学選択の際に考慮するべき話でもあると思う」というのは少々横暴。例えば、A君という高校3年生が合格した2つの大学α、βのどちらに行くか悩んでいるとする。αは偏差値65の有名大学で就職率も良いが家から電車で通うと2時間かかる。一方でβは徒歩20分だが、世間一般で名が知られているわけでもない。このときに、αを選ぶ人は少なくない。この状況を踏まえた上で、通学時間の弊害をいかに改善するか、という点を議論しているのであって、前提部分に責任を与えるのはズレている。

前提部分については、「大学は偏差値や名前じゃない」「就職予備校じゃない」「遠くて不便なのを選んだら自己責任だろ」と非難することもできる。その意見は正しい。正しいけど、A君の人生を考えたらそんな簡単に割り切れることでもない。だけど、ここで、どんな学生でもパフォーマンスを発揮できるようにと寮制度が整えられていたらいかがだろうか。問題の1つは確実に解決できるのではないか。この解説で、文意を読み取っていただけただろうか。


>7:どんな授業か取るまで分からない

これも正しいけど、不十分。例えば「シラバスがちゃんと作られていない」は、「シラバスで対応できる問題」と「シラバスでは対応できない問題」がある。前者については様々な工夫がなされているだろうし、学生発行の授業情報誌に事実上任せてしまっている学校もある。問題は後者で、例えば、過去のレジュメや試験問題を見れば「どのようなことを重視しているのか」といった部分はイメージできる。ここはいくら文章で説明しても限界がある。だから等しく情報にアクセスできる方が好ましいのではないか、という提案をした。


>8:講師との相性に依存しすぎる

「なんで、この授業とる必要があるの?このケースの最良の手段は、授業とらないで先生と仲良くなって本だけ紹介してもらうというものだと思う」という言葉はズレている。「このケースの最良の手段」について話をしているわけではない。「状況A:興味分野で、なおかつ自分のスタイルに合った授業を履修できる」「状況B:興味分野だが、履修ができないので本だけ紹介してもらう」を比較すれ ばAのほうがBより好ましいのは明白。現状の最適解がBだからAもできるようにしたいよね、という話をしている。その解決策として、受験予備校のビデオ授 業の形式を採用することで、相性のギャップを抑えることができるのではないか、と述べている。授業を取る必要があるかどうか、というのはAの中での話。

「なんで、この授業とる必要があるの?このケースの最良の手段は、授業とらないで先生と仲良くなって本だけ紹介してもらうというものだと思う」という言葉は、「今の大学の制度が正しい」ことを前提とした意見であって、「改善案を実行した後に想像される大学」の状況と比較することなしに結論付けているので、 非常に横暴な主張。この考え方をするのは、またこの考え方に対して批判せずに「妥当な意見だ」と同意するのは、科学者の姿勢としてまずいんじゃないでしょ うか。ニュートン力学が絶対に正しいのだから、アインシュタインの相対性理論は間違っているに決まってるじゃん、と同じじゃないんですか。なぜ後者を検討 しないで結論付けるのですか。いくら不満点を言語化しても、関係者がこのように捉える以上、まさに便所のラクガキであって、有意義になるはずがないんです よ。

ただ、私の取り上げた例が悪かった部分もあります。一般化したときに7番目の内容と重複する部分が大きいのでコメントしにくかったのではないでしょうか。ここは申し訳ないなぁと反省しています。


「主観的に「完璧に理屈を解説できて、普段の生活に応用できる」と感じているだけならば、「度忘れ」する時点で「完璧に理屈を解説できて、普段の生活に応用できる」は間違いということもある」は、まぁその通り。ただ、日本語に訳すときに用語が統一されていなかったりすると「内容(+他の教授の語句)は理解しているのに(この教授が回答に求めている)語句が出てこない」みたいなケースはちょっとどうなのよ、という点はあります。少なくとも必修科目や基礎教科については共通の教材・試験・評価方法を導入していただきたいなぁと。

「学生が高校での受講姿勢と大学での受講姿勢の違いに対応できていないという部分もある。なので、大学が初年次教育を頑張るとともに、学生の方も防御的に大学の授業に対応できるように準備するというのも必要だと思う」というのも正しい。おそらく全国の大学で新入生に対して同じことが言われているでしょう。で、状況は改善されていますか?


>理想

「じゃあ、放送大学でほとんどの問題解決じゃない?と思う。足りないのはTAによる授業(or 授業補佐)と対面式のゼミかな」という部分について、かなり重要な指摘だと思うので補足。

まず、大学には、少なくとも3つ ①研究機関としての役割 ②アカデミックな題材について学生が学ぶ場としての役割 ③学生にその他の恩恵を与える役割 があると考えています。例えば、学位が就職に影響を与えるのは③に関係があります。いわゆる「就職予備校」の問題は、③の比率が②に比べて極端に高い状態を是正することについて議論されている、と説明できるでしょう。

で、上記の主張は「放送大学はこの②についてほとんどの問題を解決している」と言い換えることができる。しかし、高校3年生を始めとする多くの大学受験生が、放送大学ではない他の大学を受験している、という現状を考慮すると、③の果たす役割が(少なくとも受験生から見て)大きいということになる。単に認知度の問題もあるかもしれませんが。

で、じゃあ理想の大学像をいかに実現するか、という話をすると、

( i ):放送大学が③を強化する
( ii ):他の大学が②を強化する
( iii ):②③で両者に対して優位性のある新しい大学を作る

のいずれかになるのではないでしょうか。
私が前回のエントリーで述べたのは( ii )と( iii )を念頭に置いた内容なので、③の役割については暗黙のうちに所与としたが、放送大学に言及する場合、③の問題について検討することになるので、全く別の議論を展開させることになる。


>オンライン授業が中心になったときの大学の授業は?

( ii )( iii )について、という条件の下で、結論部分は同意です。ギャップを埋める役割は上級生・院生がチューターとして、参加型は専門の研究者が担うのが好ましい資源配分ではないか、という私の主張と整合的。



以上が私の見解です。

議題をすり替えるのと、そのすり替えに気付かず同調するだけは勘弁して下さい。
ギャグ漫画の最中にむりやり感動シーンを入れられたような、何とも言えない感じです。
もし私自身がズレた議論をしているのであれば指摘して下さい。

2013/04/13

未だに大学で納得できないこと。

しばしば「学生はもっと勉強しろ!」という言説を耳にする。
その意見自体はおそらく正しいだろう。1人1人の努力が重要なのも事実だ。
だけど、学び舎である大学の環境を改善することもまた重要ではないだろうか。

新入生の相談に乗っていて、そんなことを思った。
彼女の言葉を借りれば「やる気が萎えてしまう」のだ。
そこで今日は、大学に潜むモチベーション・デストロイヤーたちを紹介しよう。



1:取りたい授業が取れない

途上国の貧困問題に興味のある学生A君が、経済学部に入学した。
彼はもちろん「開発経済学」や「アフリカ社会論」を履修したい。
さらに、国連への就職を意識して「アラビア語」も履修したい。
また、国際社会で活躍する社会人が講演する特別科目も受けてみたい。

しかしッ!!
取れないッ!!

なんということだ!!
開発経済学は…今年は開講しない!!
アフリカ社会論は…別の科目「貧困論」と時間がかぶる!!
アラビア語は…語学の履修上限に引っかかってしまう!!
特別科目は…抽選で落ちてしまった!!

よくある話だ。程よく単位を取得したい学生にとっては重要なことではない。
始めから大学に期待せず自習できる学生にとっても重要なことではない。
しかし、夢を持って大学の授業に期待を寄せていた学生にとってはどうだろう?



2:説明が分かりにくい

その分野で第一人者の教授。
その分野に興味があって予習も万全な学徒は、教授の話に感銘を受けるだろう。
要領が良くてポイントを読み取れる学生は、試験に出る重要個所をメモするだろう。

しかしッ!!
分からないッ!!

なんということだ!!
多くの学生は「教授が何を言っているのか」分からない!!
本筋から逸れた例外の話なのか、それともここも試験に出るのか!?
理論の計算をやっていたはずなのに、突然歴史的経緯を話しだしたのはなぜ!?
専門用語を知っていて当然だという説教ばかりで用語自体の意味は何!?

とにもかくにも説明が分かりにくい。
専門家が語るよりも、上級生に解説させた方が分かりやすいことの方が多い。
専門家には研究のために時間を費やしてもらう方が社会にとっても良い。



3:テキストが分かりにくい

たとえ教授の説明が分かりにくかったとしても…。
教科書が、そう、教科書がありさえすれば何とかなる。
分からなかった部分を調べることができる。これで良かった。解決だ。

しかしッ!!
値段が高いッ!!
分かりにくいッ!!

丁寧で論理的な学術書が山ほどあるにも関わらず、
教授がテキストに指定した書籍は…

なんと、その章の最後まで結論が分からず、
なんと、論旨について筋道立てた説明がなされず、
なんと、6章で解説される専門用語を3章で断りなしに使いだし、
なんと、異論がある◯◯学派といった体系を当然のように使っており、
なんと、明らかに議論の本筋から逸れる知識自慢が披露され、
なんと、「この研究は実用化されていない」と言うのに婉曲的な表現で10行も費やす。

公共選択論のテキスト、てめぇのことだよ。
ケインズやマルクスより読みにくいってどういうことやねん。
かなり細かい分野になってしまうと代替テキストも簡単には見つからないという悲劇。



4:席が取れない

電車が遅延⇒教室に遅れて入る⇒友達が席を取っているか?

Yes⇒OK。
No⇒空いている席は見つかるか?

Yes⇒申し訳ない気持ちになりながら無理に通してもらう。
No⇒立ち聞きは可能か?

Yes⇒立ち聞き
No⇒教室を出る

そう…席が取れないのである。
履修者の数<教室の席数 となるように調整されている。それは事実。

しかしッ!!
席が狭いッ!!
明らかに1人毎に割り当てられたスペースが狭すぎる!!
冬場のコート、分厚い教科書や部活の道具が入った大きな荷物。
使う!!どう考えても!!隣の席も使う!!

つまり、履修者の数 < 教室の席数 < 履修者の数×2 になってしまう。

大学を「授業料による収入」と「設備投資による費用」だけで考えれば効率的だ。
しかし、「1人1人が授業に集中できる環境」という観点から見たら最悪だ。
これは図書館やPCルーム、食堂などでも同じことが言える。



5:図書館が24時間空いていない

自宅から2時間掛けて毎日通う学生B。
彼は朝9時の授業に遅刻しないよう早めに家を出ていた。

1本後の電車に乗ると授業には間に合わない。
しかし、いつもの電車だと到着時間には図書館さえも空いていない。
大学の近くにあるカフェは通勤前のサラリーマンで満員だ。

逆のケースもある。

コツコツ勉強するのは苦手だが、一度集中するとのめり込むC君。
授業の内容がいまいち理解できないので図書館で教科書を読む。
指定テキストは借りられない規則なのでここで読むしかない。

アメリカの例が多いものの、丁寧な説明に納得していく。
ようやく、現実社会と理論の繋がりが見えて来た。
さぁここから面白くなってくるぞ!
…というときに閉館時間が来てしまう。

などなど。

図書館が24時間空いていない時点で、少なくとも大学は、
学生に「いつでも勉強できる環境を与える」努力を放棄した、
と言われても仕方がないのではないか。



6:家や活動エリアから遠い

通学に片道1時間以上も費やす。
あるいはサークルの練習場所まで1時間も必要とする。
移動だけで2h×週5日×25週/年=250時間も失っている。

さぁ、例えばここで、大学から徒歩2分の大きな学生寮があったとしよう。
その大学に通う学生は、そうでない学生に比べて250時間多く学習に費やせる。
全10章で構成される学術書を1章読むのに2時間必要だとするとどうか。
1年間で250÷(10×2)=12.5冊も多く読むことができる。
1分野毎に参考書が2冊だとしたら、6分野も多くマスターできることになる。

え?学生寮の工事や家賃にお金がかかるって?
それは大丈夫。日本の教育の未来を憂いている人たちが山ほどいるから。
頼まれてもいないのに「学生はもっと勉強しろ」と主張するほど熱心な人たちだ。
きっとこれくらいのお金は出資してくれるはず。



7:どんな授業か取るまで分からない

素晴らしい先生は、事前に適切な情報提供を行っている。
出席、レポート、試験に対する比重や、使用テキストについて。
さらに自身のHPで過去の試験問題や、受講生のコメントを載せている。
実際に履修したときのことを十分にイメージできる。

しかし、そうでない場合も多い。
だから結局は、先輩・友人・ネットの書き込みなどを参考にする。
表面的な情報しか掲載されていない履修案内は役に立たない。
糞を拭けない分、トイレットペーパー以下だ。

そのくせ、やっぱりこの授業は自分には合わない、と分かった頃にはもう手遅れ。
履修登録を変更できなかったりする。



8:講師との相性に依存しすぎる

悲しいことに「興味のある内容」と「自分に合う授業形式」とは必ずしも一致しない。
途上国の問題に興味があって、たびたび現地を視察しているA君。
インターン先のNPOは、飛行機チケットの安い6月に大きな活動を行う。
しかし、開発経済学の授業では出席に対する比重が大きすぎる!!

試験一発勝負なら自信はある。
東進みたいなビデオ授業で、自主的に進められるなら5月中に学習範囲を修了できる。
レポートの比重が大きいなら、自分ならではのものを書き上げる。

なのに、この講師の授業スタイルではそれができない。
この大学のシステムではそれができない。

別の例で言えば、論旨を把握したのに、細かい語句暗記ばかり試験に出す教授。
「結局何が言いたいかよく分からない」状態の生徒は満点。
完璧に理屈を解説できて、普段の生活に応用できる生徒は、ど忘れで赤点ギリギリ。

マジメに勉強するのがバカらしくなる。
あるいは、勉強できる気でいた人が、全国共通の試験でぼろぼろだったりする。
成績の付け方や学び方に統一感がないことのデメリットが目立つ。




とにかくですね、

近くの寮から通いやすくて、24時間施設を利用できて、それもきちんと人数分確保されていることが前提。というか運動から食事までありとあらゆる生活インフラを整えてほしいよね。

さらに、単位の履修上限を解除して、授業バッティング回避のために東進のようなビデオ授業・Z会のような通信講座も併用可能。本気でやれば1週間でマスターできる科目(簿記の2−3級レベルなど)については1週間で全て学習する「先取り」も許可する。

授業の情報は詳細まで平等にアクセス可能。過去の試験問題で腕試しできるのはもちろんのこと、単位取得者の割合や成績の分布といった統計情報も公開。良い成績を取った人のコメントだけだとか、特定のWebサービスを利用している人だけといった極度に偏った情報は、トイレットペーパー以下の価値しかない。

分かりにくい授業については上級生・院生が講師を担ったりテキストを開発することで自分たちの学習の場・実績にも繋がるようにする。基礎的な科目については全国共通のテキスト・試験・成績基準。高校までの教科書は質が高いから同じレベルを期待できる。

その教授ならではの特殊な科目(レポート内容がそのまま政策の参考意見になったり、教授からボコボコにされる少人数のゼミだったり)の場合だけ、専門家として教授に腕を振るってもらう。


これ!!これでどうよ!?
こんだけやれば流石にモチベーション上昇⇒学力上昇に繋がるでしょ!!


いやさ、学生生活に酒と麻雀とセックスだけしか期待していない人には意味ないですよ?
でもでも、何かしら興味があれば必ず大学の授業と結びつくはずなんですよ。
だとしたら、そこで障害となるものを取り除いてやれば、必ず学力は上がるはず。

でさ、そうやって自分の関心テーマを一生懸命勉強した人ってのは強いですよ。
志望業種に就けば活躍するだろうし、研究者としても優秀でしょう。
時間をコントロールしやすい環境なら、事業を起こすことだって容易になる。
何より、人生を楽しめる。

…という呟き。


※2012.04.14追記:コメントをまとめました。
http://togetter.com/li/487953

※2012.04.16追記:コメント返し
http://yuzutas0.blogspot.jp/2013/04/re.html