2012/09/07

24時間テレビが制作費40億円・募金額2億円だという話。


真偽の検証すらしていないですが、なかなか興味深い話だなぁと思いました。
そもそも私はテレビ自体を近所のラーメン屋でしか見ないのですが。




●ガジェット通信

日テレ24時間テレビの募金額は2億4309万1607円と大幅に下回る ちなみに制作費は40億円?
http://getnews.jp/archives/137204

日本テレビ24時間テレビの番組終了時の募金額は2億8240万4461円 海外番組のようにノーギャラで製作できないのは何故?
http://getnews.jp/archives/245603

●2chまとめ

「24時間テレビ」終了のお知らせ 募金額(中間発表)は、2億8,000万円
http://alfalfalfa.com/archives/5869890.html

外国人も驚く日本テレビの糞チャリティ番組である24時間テレビ 海外ではノーギャラなのに日本では2億円以上のギャラが芸能人達にばらまかれる現実
http://hamusoku.com/archives/7410823.html





これらの情報がすべて事実だったと仮定して考えたいと思います。つまり番組の制作費が40億円で、集まった募金額が2億円強という仮定です。まぁ、もし募金額>制作費ならそこまで面白い話題でもないので。

おそらく多くの方が「その制作費を募金に回せばいいじゃないか」と思うのではないでしょうか。当然ですよね。2億円より40億円を募金に回したほうがソーシャルグッドな感じがします。ただ、この2億とか40億って具体的にはどれくらいの額なのでしょうか。

飢餓の問題を例に挙げてみます。一般に、20円の募金で開発途上国の給食1食分になる…と言われているので、1人の人間が1年間の食事を得るのに必要な金額は20円×3食×365日=21,900円です。よって


2億円 ⇒ 200,000,000 / 21,900 = 9,132.42…

40億円 ⇒ 4,000,000,000 / 21,900 = 182,648.40…


つまり、2億円の募金とは「9千人を飢餓から救える金額」で、40億円の番組制作費とは「18万人を飢餓から救える金額」ということになります。もちろんこの計算では実務費用などは無視していますが、何となくのイメージは掴めたでしょうか。

ちなみに、途上国では5歳未満で亡くなる子供が年間で1100万人(約3秒に1人死亡)だそうです。24時間テレビが放送しているうちに、24時間のうちに2万8千人が亡くなっているんですね。24h=24×60×60=86,400秒を3で割ると28,800になるので。

以上をまとめると

・世界のどこかで3万人の子供たちが亡くなっている24時間のうちに、
・40億円を費やしたテレビ番組が流れて(本当なら18万人を救える金額)
・その番組に感動した国民が2億円の募金をした(9千人を救える金額)

ということになります。何とも飯がまずくなる話。皮肉が効きすぎているというか。





これを要点だけまとめてtwitterで呟いたところ友人からこんな言葉が。

「福祉団体に寄付するらしい募金に協力してしまった」

あー、うん。
なんか申し訳ない気分。

もし上記の文章を読んで「日本テレビは40億円を全て募金に回すべきだ!」と本気で思った方がいたら、ぜひ一度きちんと生産的に考えてもらいたいです。この手の議論はマジメに受け止めすぎるとあまり良くないんですよね…ということを説明したいと思います。

命題「2億円より40億円を募金する方が社会にとってプラス⇒日本テレビは制作費を募金に回すべき」はかなり穴だらけの主張です。



1:寄付以外の価値。

まず「この番組の意義は寄付を集めるだけではない」という反論。番組のコンテンツを通して社会的課題を伝えることはそれ自体でかなりの意義を持つように思います。テレビというメディアの影響力が大きいからです。世帯視聴率1%で16万世帯ほどだそうです。

はたして今の日本に、16万の家庭にメッセージを届けられるNPOってあるのでしょうか。「積極的にこの人の言葉を聞きたい!」と思う人が使うツール:twitterを参照すると、人気の社会起業家でもフォロワーは数万人くらいですよね。テレビで視聴率20%なら320万世帯ですからね。

もちろん、コンテンツに対する批判(例「いかにもお涙頂戴で萎える」「障碍者に対する画一的な価値観を植え付けている」)は必要でしょうし、「16万世帯に本当にメッセージが届いているのかよ」とか「視聴率って統計学的にあまり当てにならないよね」とか色々とつっこめる。あと、社会認知の度合いは数字で表しにくいので、効果測定が難しいんですよね。そもそも本当に認知が必要なのかとか。検討する余地は大きいですが。

ただ、こういった社会認知に対する貢献を無視して金額ベースだけで議論するのはフェアではない、ということは言えるはずです。金額ベースで切り出したのはお前だろって話なんですけど。いわゆる人気ブロガーとかアルファツイッタラーとか記者とかエセ学者とか、誰もがこうした情報編集をやっていますよね。いちいち踊らされないで公平に考えたいところです。てなわけで「反論1:この番組の意義は寄付を集めるだけではない」でした。



2:ゼロか、2億か。

次に「24時間テレビがなければ2億円の募金さえなかった」という反論。先ほど挙げた友人は、この番組を機に福祉団体のために募金したわけです。もしこの番組がなければ2億円が募金として扱われることもなく、普段の消費活動に使われてしまったのではないでしょうか。

40億円もまた同じように、他の番組の制作費などに使われるはずです。たまたまチャリティー番組:24時間テレビとして可視化されたに過ぎません。このお金は24時間テレビがあってもなくても福祉団体に直接渡ることはないのです。そう考えると、2億円の募金が生じただけでも有意義だと思いませんかね。一度のチャリティーイベントで2億円集めるNPOが日本にあるでしょうか。まぁ、40億円支出するNPOもないだろうけど。

いやいや、その40億円を募金に回せばいいじゃないか!という意見もあるのですが、営利企業である日本テレビが事業を行うための予算を無条件で募金するというのも変な話だと思います。しかも40億円。節子それもう財団法人の役割や。株式会社日本テレビ放送網という企業が、自分たちの強みを活かして、ソーシャルグッドなテレビ番組を作り、結果として2億円の募金が生じた。そう考えると良い話になる…かもしれない。

まぁ、この意見にも異論反論山ほど出てきます。ただ、少なくとも「寄付してしまった」と後悔する女性に、正当性を提供することはできるでしょう。つまり「24時間テレビがなければ2億円の募金さえなかった」「困っている人を1人でも救えるのであれば、あなたの募金には意義がある」…これは事実です。効率的かどうかは別にして、2億円が募金になったという意味で、正当性はあるはずです。



3:経世救民だってばよ。

最後に「経済活動=社会貢献」という反論。そのまんまです。制作費40億円は、テレビ制作を通して俳優・スタッフ・関係者に行き渡ります。例えば、下請け会社の社員がボーナスを貰ったとしましょう。いつもは昼食を400円以下に抑えるよう工夫している彼も、今日は機嫌が良い。少し贅沢をしてスターバックスで読書。はい、ここでストップ!

ご存知の方も多いでしょうがスタバのコーヒー豆はフェアトレードです。途上国の労働者が不当に搾取されないように価格調整していおり、コーヒーを頼むことが国際協力に繋がる仕組みなのです。ちなみにスタバと提携を組んでフェアトレードシステムを構築したのはConservation Internationalという国際NGOで、私の勤め先です。(←この機会にCIを覚えてね!今日初めて広報担当っぽいことした!w)

このように、あちこちに社会貢献の芽があるのです。そうでなくとも、所得/貧困や労働問題が先進国の主要課題となっている現代社会においては、経済を活性化させる取り組み自体がソーシャルグッドと言えるかもしれません。大きな仕事が入って、少し財布に余裕ができて、奥さんや子供にご馳走を振る舞って、美味しいものを食べて、みんな笑顔になって、おなかを膨らませたまま布団に入って、川の字に寝て…ささやかですが、大切な人の幸せな生活を守れるのは、やっぱり仕事があるからなんです。

経済学を学ぶ立場からしてみると「経済活動=社会貢献」という図式が成り立つんですよね。人間が幸せになるために資源を分配する。その最も代表的なツールが企業による経済活動なのです。この考え方はNPOやNGOの方々はあまり好まない(立場上肯定できないことが多い)のですが、ある程度の妥当性を有しているかと。

ただ、チャリティー番組と銘打っていいのか?という点はやや疑問。チャリティーライブやチャリティーイベントで出演料を取る音楽家やパフォーマーってあまり聞かないですよね。調べたところ「チャリティー」はまだ曖昧な言葉のようですが、それでも一般で言うチャリティー番組の感覚からすると、出演料を取る経済活動は好まれないのかも。「チャリティーではないけど募金を集めますよ番組」ならOKでしょうか。





●議論のまとめ。

以上3点、とりあえずの反論を挙げてみました。40億円の制作費を募金に回せばいいじゃん!という言葉は、「テレビならではの社会認知効果などを考えておらず、番組がなければ2億円さえ募金されなかったことを比較考慮できず、そして経済波及効果は蚊帳の外だと私は考えています」という意思表明になってしまうのかもしれません。

とは言え、これらの指摘もつっこみどころだらけです。つまるところ、ものは言いよう。それぞれの論点について自分はどう考えるのか、が重要なのだと思います。24時間テレビに賛同する人も、反対する人も、私は否定することが出来ません。色々な考え方ができるからです。「何が正しいか」は解釈次第で変わってしまうので、自分の思ったように / 好きなように行動すればいいと思います。



●最後に…。

福祉団体に届けばいいな。困ってる人の役に立てたらいいな。善意で募金をした友人も、その友人に募金の機会を与えた24時間テレビも、完全に否定することは出来ません。

ただ、私は「社会にとってより良い仕組みを作るにはどうしたらいいか」ということを考える立場の人間なので、そういう人間であり続けたいので、なんとか制作費2億円・募金40億円にシフトできないものかと頭を巡らせているのであります。

うーん。難しいね。
ぜひ皆様のご意見を伺いたいところです。