2012/03/26

市民団体がなくなる日

社会起業といった言葉に代表されるように "政治によるトップダウン" から "民間によるボトムアップ" への転換が注目されていますが、最終的な結末は "NPOや市民団体が活躍する社会" ではなく ”政治の必要性が再認識される社会" なのではないか、というお話です。

井手英策(慶應大学経済学部准教授)さんの講義を聴いていて新鮮な観点だったのでシェアします。日吉キャンパスでは『社会問題』、三田キャンパスでは『財政社会学』という授業を担当しておられるのでどちらかの受講生であれば話に心当たりがあるかもです。



市民がまちを作る百人委員会

鳥取県の智頭町という過疎地域では「百人委員会」という、住民が自分たちで財政を決定する制度があります。これは地域財政の約2%に相当する金額の使い道を住民自らが決定する仕組みで、「獣害対策」といった緊急のニーズ解決から「森の幼稚園」というユニークな支え合いコミュニティの創造まで色々な企画が実現されていったようです。一応、議会が提案を否決することは制度上可能なようですが、住民からの支持を失うことで選挙が不利になるため事実上 否決は困難だとか。

自ら政治に関与することで、ニーズが満たされているとの実感が強まり、以前に比べて「税を負担しても良い」という意識が強まっているようです。これは国家レベルの増税問題にも言えることで、国民のニーズとは別の場所で税金が使われており(国民に迎合すれば良いというわけではありませんが)金の流れが不透明だったりムダ使いと揶揄されるような状況では払いたくないですよね。その意味では、こうした取り組みは非常に大きな可能性を持つものだと言えます。



「もう疲れた」で瓦解するシステム

ところがこの百人委員会。行き詰まりを見せているのが現状だそうです。委員会への参加や計画の実行などの負担が大きいことが原因だとか。多いときには1ヶ月の約半分が会議に費やされ、幼稚園の先生も自分たちがやらなければいけない。何らかの社会活動を経験したことのある方なら分かると思いますが、机上の空論で終わらせずに実行しようとすると、普通に仕事をするのと大差ない検討事項・作業量を処理しなければなりません。地域の人々で幼稚園を開くのであれば、人員管理・予算配分・場所の確保・児童の安全対策・親御さんへのサポート・カリキュラム…といったテーマが山積みで、さらに安全対策といっても建物・食事・体調管理・交通事故etc…とさらに細かく検討事項が出てきます。人口8000人の過疎地域の行政では役員さんによる協力も限界があるでしょうし、アイデアだけ丸投げするのであれば自治意識は以前と変わらなかったでしょう。

百人委員会の負担は大きく、最初はユニークなアイデアが活発に投げ交わされたものの、次第に参加者は減少してアイデアも陳腐なものになっていったそうです。准教授が講義で端的に言い表したフレーズを引用すると "善意に溢れている間は上手く回るが「もう疲れた」と誰かが言い出したら瓦解する" システムなのです。市民団体やソーシャルキャピタルの話では頻繁に "善意" の力が主張されますが、普通の社会人の方々は半月もの会議に出席できますか?自ら企画を実行できますか?

余談ですが、私が関西のとあるNPOの方から聞いた話では、代表に負担が集中してしまい、結局はその1人が折れることで団体が崩壊するというケースが少なからずあるようです。



自治体の役割を再発見する

ここまでが現状で、准教授は行政の方に対して提言を、学生に対して問題提起を投げかけました。すなわち

①そもそも「獣害対策」や「幼稚園の設置」は自治体が果たすべき責任ではないか?

②住民が汗をかくことで
→行政:ニーズが明確化された
→住民:事業に必要なコストを自分たちに関わりのあるものとして主体的に理解した
したがって「疲れたのであれば税金を払って下さい。自治体がサービスを提供します。」と住民に対して訴えるべきではないか?

③あるリーダーに政治や改革を丸投げする民主主義から納税者は生まれるのか?



ここから私見

このうち③は財政問題や民主主義の在り方といった論点に繋がると思いますが、ここを掘り下げると講義そのままなので置いておきます。①に関しては、財政難だと難しいのかなとも思いますし、現実として社会起業・市民団体といったボトムアップの流れが活発になっているのは「自治体が役割を果たせていない」からではないでしょうか。たとえ原因が自治体側であれ、市民側であれ、外部要因であれ。

なので①は所与の条件、③は放置として、②の部分に注目してみたいと思います。自治体が本来担うべき役割が十分に担えていない現状では、必然的にボトムアップの動きが注目されます。ところがソーシャルビジネス先進国と言われるアメリカでさえ、団体の大部分が利益率の高い分野のみに集中し、利益率の低い分野は見放されているのが事実です。日本ではもっとひどい。twitterや成功体験本で見かけるような華々しい活躍をしている団体はごく一部で、多くの市民団体は補助金でなんとかやりくりしているのです。

そうなると "善意に溢れている間は上手く回るが「もう疲れた」と誰かが言い出したら瓦解する" システムに他ならない。税収以上に不安定な歳入状況では要となるスタッフの数も限られてくるでしょう。華々しく成功している団体を参考にして経営を立ち回らせるしかありません。私が勉強しているテーマでもありますが、瓦解しない経営システムを確立するというのが1つの答えになるでしょう。これが最もポピュラーな解決案です。



市民団体の出口戦略

もう1つの解決案が「出口戦略」です。つまり組織を維持するのではなく、解散することを前提にしたプランを組むのです。どういうことかと言うと、まさに②の通りなのですが、社会活動を通じて「自治体が役割を果たせる」土壌を作る。それは市民の意識かもしれないし、ニーズの明確化かもしれないし、個々の課題によって変わるでしょう。その上で、自治体への橋渡しができたら組織を解散させる。するとより効率的な形で問題を解決できる(かもしれない)。

この「出口戦略」の観点が非営利組織にはまだ欠けているのではないかと思いました。もちろん、智頭町のケースではたまたま当てはまっただけで必ずしもすべての市民団体に当てはまるわけではありません。しかし問題解決のために "既存の資源を利用する" 姿勢が重要なのは疑う余地はなく、行政というのは最高の資源なんじゃないかと思うんですよね。あるいは行政ではなくても何らかの "既存のシステムを本来あるべき姿で再活用する" というのはポイントじゃないかと思うのです。

そう考えると、近年ブームとなっている市民団体は「行政の本来の役割」を、社会起業は「ビジネスの新しい市場(=本来のビジネスの性質に乗っ取った経済活動)」を、再発見するためのプロセスだと言い換えることもできそうです。21世紀型の社会システムが落としどころに着地したときには市民団体という形態がなくなってるかもしれない…と言うのは少々極端でしょうか。





以上、雑記でした。

出口戦略の可能性や、既存システムの再発見といったポイントが私にはなかなか新鮮だったのでシェアさせていただきました。まだまだ色々な可能性や論点が眠っているように思えるので結構面白いですよね。というか社会システムは落としどころに着地できるんですかね。

ではノシ


半身浴×iPhoneでRSS処理してみた。

研究や事業も含めてブログというより備忘録っぽくしてもいいんじゃないかなーとふと思ったので、実験的にエントリーを投稿してみます。

前回書いたように"道中楽しもう"ということで、生まれて初めて吉野家でつゆだくを頼んだり普段とは違うジャンルのシャツを買ってみたりしました。割と日常の端々に楽しみは隠れてるものですね。そして、念願の半身浴に挑戦してみました。



半身浴の話

量・温度ともにほどほどのお湯に漬かる健康法です。身体に良い、リラックスできるので精神にもいいらしい。もともと日本各地の温泉巡りが大好きなのでせっかくなら自宅の風呂も最大限に活用したいなーと思いました。

と言いつつなかなか時間が取れないんですよねー、これが。ただ、ダラダラとSNSを閲覧したり、ぼけーっとする時間を削って「風呂でリラックス」する時間を意識的に作ろうとすると30分くらいなら何とかなるんじゃないでしょうか。週に1回時間を作るだけでもかなり違う気がします。

RSS処理をリラックスできる時間と捉えるかどうかは別にしても、小説を読む、音楽を聴く、ムービーを見る、Google Earthで世界を旅行する…みたいな感じで意識的に安らぐ時間を作ってムダなグダグダタイムを減らすことで日々の生産性が上がるのではないでしょうか。



RSSの話

ブログを中心として各種サイトが更新されたときに、その記事を抽出して知らせてくれるサービスです。わざわざ毎日そのサイトをチェックしなくても自動で更新内容が通知されるので非常に便利です。私の場合はGoogle Readerで「時事」「ITサービス」「デザイン」「環境問題」「経済学」といったテーマごとにカテゴリ分けして使っています。

で、RSSあるあるネタなんですが、忙しくて放置している間に未読記事が溜まっていって、<未読件数:1000+>と表示されるんですよ。無視すればいい話なんですけど、集中モードに入る間はニュースも全く見ないので、せめて重要な時事ネタくらいは読んでおきたいなと。どうせなら関連しそうな記事も読んでみたいなと。できることなら一気に未読を処理したいなと。つまり一斉に処理したいんですよ、はい。

とはいえ一度読まなくなると開くのもだるいんですよね、正直。そこで半身浴チャレンジを機にして、風呂の中でRSS処理しよう!という結論に至ったわけです。



準備(アイテム編)

とりあえずのポイントとして今回準備したアイテムは以下の通りです。

① iPhone
(本当は半身浴×iPadに憧れてるけどとりあえず)

② Mac Book Pro
(昔から使ってるやつです)

③ Ziploc
(東急ハンズで500円くらいで購入)

これだけです。もっと楽しむ方法は色々あるかもしれないけど、あんまりお金を掛けたくなかったのでとりあえずこんな感じです。使い方はそのまま。各種サービスはiPhoneとMacで同期しておいて、iPhoneをZiplocに収納して風呂場へGo!

iPhoneで写真撮ろうと思ったら肝心のiPhoneがZiplocの中に入ってて撮れなかったw
泣く泣くZiplocだけ撮ったけど中にiPhoneが入ってるって設定で進めます!←

多分、湯船に落とすと、なんだかんだでアウトな気がします。
きちんとフル装備したい方は↓の記事あたりを参考にしてはいかがでしょうか。

半身浴をしながら、iPhones生活 | fixelog
http://fixelog.jp/blog/2009/07/iphone-1.html



準備(サービス編)

んでんで、ここはRSSの使い方次第なのですが、私は「後で読む」サービスが結構好きなのです。「後で読む」というのは、例えばiPhoneで何気なく開いたWebページを家に帰ってからきちんとPCで読みたい!と思った時に「後で読む」に登録することで後で読めるサービスです。そのままですね。

どう使うかというとfacebookで友人が薦めてくれた記事や、twitterで流れて来た記事、RSSを読んでいて気になった記事なんかを「後で読む」で一括化しておくのです。Evernoteに記事自体を投稿してもいいんですけど、Evernoteは研究資料を貼付けるって感じで使い分けしているので私の場合は「後で読む」が一番いいかな。特に多いのが後で実践するためのエントリーですね。「Web系男子が抑えるべき腹筋のときのポイント8個」みたいな。

なので、流れとしては

①浴槽でiPhoneからRSS処理
②気になった記事を「後で読む」
③後でPCからチェック

具体的に利用するサービスとしては

・iPhoneでRSS購読アプリ(私の場合はfeedlerが使い慣れてる)
・feedlerでお気に入り→Google Readerに同期(これは標準)
・Google  Readerでお気に入り→自動的に「後で読む」

この最後の点については、まだβ版ですがiftttというサービスを利用しています。タッチ1つで自動で全部投げ入れてくれるのは便利です。↓の記事を参考にしました。

Google Readerでスターを付けたエントリを自動でRead It Later(またはInstapaper)に登録する | 想造ノート
http://souzou.fuzimoto.info/2012/03/google-readerread-it-laterinstapaper.html


「後で読む」系のサービスではRead It Laterを使っていたのですが、まさかのジャストタイミングでエラーが発生したらしいw
これじゃフィードバックできないじゃん!
やっぱり予備のサービスも使った方がいいんですかね。

Read It Later にアクセスできない | 5号館のつぶやき
http://shinka3.exblog.jp/17723057/



突入&注意点

んでもって風呂場に突入。
このとき怖いのは

①水没&水しぶきによって機器アウト
②温度差による結露で機器アウト

したがって

①湯舟の蓋の上でしか使わない
②Ziplocはしっかり閉める
③換気扇はMAX

という対策のもとで実行しました。



実行結果

・半身浴

かなり快適。そもそもお湯に漬かるのが久々すぎて感動しました。のぼせないように ぬるま湯だったんですが、途中でぽーっと体が内側から熱くなってきましたね。あと爪切るときに気付いたんですが、足が完全無臭になる!w

・iPhone

やっつけのZiplocだけど操作はすぐに慣れます。ゲームみたいな細かい動作や、メールの文章を打ち込むのはちょっと面倒かも。RSSを読む=アプリ起動&タッチ&スクロールくらいなら問題ありません。風呂を出た後も普通に機能しているので問題なしですね。

・RSS

かなり集中できた。外部から隔絶された空間だからでしょうかね。気付いたら2時間くらい経過していて、200個くらいの記事を読んだところで寒くなって来てリタイア。集中環境としてはかなりいいです。ただ、時間を掛けすぎると風邪を引くと思われます。



反省点

→Ziplocって結露も防げるのかな?いまいち分からん。
→冷えるから換気扇は回避したいなー。
→密閉空間で小さい画面見続けると 目が疲れる。
→週1に半身浴として、200記事/1weekは遅すぎる。

うむむ。画面問題はiPhoneではなくiPadにすれば解決なんだけど、WiFiフル活用しても月額3000円近くするってのがちょっとなぁ。結露と換気扇の問題は健康のためにも30分〜1時間で切り上げた方がいいので仕方ない。ただ、毎日30分だけコツコツやるとして、1日あたり今回の1/4=50記事だから、350記事/1weekの計算になるのだけど、処理量が少なすぎでしょ。これは時間というか私の読むスピードが遅いのかな、もっとガンガン飛ばし飛ばしで処理した方がいいのでしょうか。

…てな感じで、半身浴やiPhoneアプリではなくてRSS処理のほうに問題のポイントがあることが分かったので、次はそっちの問題を解決するように工夫します。



まとめ

や、でも「半身浴をしながらiPhoneでRSS処理する」ってスタイルはかなりいい感じでした。せっかくだから入浴剤入れて香りを楽しみつつ、飲み物でも飲みながら、音楽を掛けてやっていけたら最高だね。健康に良くて生産性も上がって行為それ自体を楽しめるなら言うことなしです。

…ちょい、道草を楽しみすぎたかなw
まぁ、アレです。情報収集1つとっても楽しみ方があるんじゃないのかってことが伝われば嬉しいです。はい。

2012/03/17

みちくさ。

道中楽しもうと思えた2ヶ月でした、って話。個人的な日記です。
ジャック・スパロウとジン=フリークスの影響を受けてるかもね。


まず、謝罪。このブログの更新情報はtwitterでしか流していないので読んでくれている方がいるとしたらフォロワーさんだと思います。この数ヶ月で 100人以上減ったけど、なんだかんだでまだチェックして下さる方々には本当に…なんというか、もはや申し訳ないです。私生活でテンパりまくっていたので、読んでいて不快なツイートなんかも多かったんじゃないかなぁと。せめての弁明というか、人生の節目ということで勘弁してやって下さい。

次に、感謝。当たり前だけど周りの人には感謝しなければいけないなと。自分の内側が空っぽになったときに崩れないで済むのは、自分の外側に支えてくれるもの があるからってことですね。何かあるたびに痛感することだけど、貰った分だけ返せる人間ではいたいよなーとは思うので、もう少し誰かの役に立てるように サービス能力を向上させたいっす。まぁ、あんまり言葉にすべきことでもないか。ただ、SNSの使い方が情報収集&思考拡散メインからコミュニケ―ションの比重を上げるかもってことは断っておきます。


んで、本題。

①感情には際限がない
②現実は自分の脳味噌より大きい
③どうせなら道中楽しみたい

って話。
Uverworldの浮世crossingとかMr.ChildrenのWorld's End的な感じです。



①感情には際限がない

そのまんま。例えば「自分の労働観と この会社が合っているか」みたいなテーマで自己分析する就活生は多いと思うけど、価値観の分析ってそんな漠然とした情報のもとで紋切り型を述べるのとは違うと思うんですよ。だけど、本格的に深く深く考えだすと、どこまでも深くなってしまう。そこには「何が好きか」という選択問題と「どれくらい好きか」という程度問題の2種類があって、どちらも加速度的に拡散していく。労働に限らず、趣味や恋愛でも同じで、出来事・体験・情報1つ1つに対して何らかの感情判断が伴ってしまうと思うのです。今日の試合は良かったとか、気になるあの子の発言に落ち込んでいるとか。意識して逸らさないと感情は際限なく肥大化する…それが人間の心の傾向の1つかなーと。対象に真剣であればあるほどね。



②現実は自分の脳味噌より大きい

これもそのまんま。その会社でどんな働き方ができるのか、その試合でどんな活躍ができるのか、なんてことはある程度までは想定できても限界があるわけです。経験と知恵を積めばその先見の精度が上がって状況を有利に進めることができるのだろうけど、それでも予期せぬ面白いことが待っている…かもしれないんじゃないかな。正直に言うと面白くないことの方が多いだろうけどね。「心の持ち方1つで見え方が変わるよ」なんて言われてもムリなものはムリでしょ。それでも、分からないもんだよね。



③どうせなら道中楽しみたい

てなわけで①②より、心に依りすぎると感情が肥大化する一方で、現実ははるか先に広がっていると。そういう世の中で生きるにあたってハムレットのような生き方をしたいのか?それともジャック・スパロウのような生き方をしたいのか?って考えると、いかがでしょう。気を違えるほど信念に殉じる前者の生き方は、美しいとは思う。心の奥底ではそういう人間でいたいとは思う。だけど表面に押し出しすぎるとちょっと辛いよね。自分も周りも。



なぜこの話をしたのかと言うと、大学入学以降の私の言動が、少々ハムレット側に偏りすぎてたと思うんですよ。何かに真剣になるということは、悪いことじゃないけどね。でも本末転倒なんじゃないかと。もともとクソ人間だった私は、免罪符を得ようと「途上国の環境問題を 科学技術を利用することで解決するための社会制度」について学ぶ為に大学に入学しました。入ってから色々と知らなかったことを知って紆余曲折を経てきたけど、誰かの役に立てたらいいなーというのは持っていたつもりです(それが"今の時代の大衆に対して"とは限らないけれど)。その姿勢がむしろ他人に迷惑を掛けていたのかもって逆説なわけですよ。

例えば「プレゼンテーション」「組織運営」みたいな本題そのものには直結しない議題について、私は本質的ではないという理由で、思考を放棄してきた。結果、相手に対して伝えたいことが伝わらなかったり、周りの人に過度の負担を掛けることに繋がったのです。目的の観光名所以外には見向きもしない旅みたいなもので、結局それじゃ旅の面白さなんて味わえないんですよね。もしかしたら、その道草の方がゴールよりも大事だったかもしれないのに。伝え合ったお互いの考えとか、協力し合った仲間とか、得られたはずの宝物9割以上を自分で捨ててきたんじゃないかな。まぁ、それでも残ったものが、きっと今の自分の運命で繋がるはずだったものかもしれませんけどね。

そんな感じで、何がどう宝物になるのかなんてちっぽけな脳味噌では分からないので、もう少し余裕をもって世界を楽しんでみてもいいんじゃないかなーと思いました。もっとおシャレして、もっと美味いものを食って、もっと面白いことをして、もっといろんなことに気を配って、1つ1つの時間を充実させて、だけど芯は大事にして。



てなことを思ったりしたのです。

だから余計なことは考えないで、面白ければいいじゃないかー的なね。そういうのを大事にしたいなーなんて。うん。毎年春には「生きたくても生きられなかった人がいるんだぞー」って話をしてきたけれど、これくらい軽い気持ちの方がどうやら遠くまで飛べるのかもしれません。分からないけどね。少なくともストレス溜めすぎて1ヶ月に7kg痩せるよりはマシっすよね、ええ←

あ〜、あと、どっかの誰かさんに負けないように頑張ります。んで、活動系は一部の参考になりそうなフィードバック以外は、ネット報告を避けて、これまで向き合わなかったことのために時間を割こうと思います。代わりに、卒業論文のための情報メモや時事問題なんかをblogで挙げていこうかなと。

そんな感じ。
まぁ楽しく行きましょう。



P.S.
ジンで思い出した。ゲーム作ったりスマホアプリ開発が好きな技術屋さんいませんかね。グリードアイランド的なノリで半年弱ほど一緒にバカやりませんか。

2012/03/09

私が「学生論」を嫌う理由

"学生とはどうあるべきか"という「学生論」に関するエントリーがしばしば見受けられるのですが、中身云々以前に「学生論」を持ち出すこと自体に対してあまり好感を持てません…という話。



2つの視点

ただ、ここで注意しておきたいのは「学生論」には2つの視点があるということです。1つは「現代日本社会において学生(という身分)はどうあるべきか」という一般的学生論、もう1つは「学生として(私たちは)どのようなキャンパスライフを送るべきか」という個別的学生論です。

例えば "日本の大学生の英語力が他国に比べて劣っている" という命題を考えましょう。このとき「1人1人が積極的に英語を学ぶべきだ」というのが後者の視点ですが、それに対して「大学入試をTOELFで代用すべきだ(大学生はTOEFLの結果が良い者であるべきだ)」というのが前者の視点です。ミクロの視点、マクロの視点と言い換えてもいい。私が好きではないのはミクロの方の議論です。



マクロの話

私見ですが、マクロ視点に関するエントリーではより建設的な議論が行いやすいと感じています。1人1人の学生ではなく、日本全体あるいは特定の大学といった規模での話になるので「システム」自体が議論の対象になるからです。個々の英語学習ではなく、全体の話であれば「現状はどうなっているのか」「何がなぜ問題なのか」「ではどうなるのが理想なのか」「そのためにどのような施策が考えられるか」「考えられる選択肢それぞれのメリット・デメリットは何か」「最善と思われる選択肢はどれか、それを実行するにはまずどうしたらいいか」といったことを考えられるからです。価値観や持っている情報、条件によって色々な意見に分かれるでしょうが、多くの意見を聞けば聞くほど思考が錬磨されていくので、"考える"という意味ではそれなりの生産性があるのではないでしょうか。ただ、ここまでくると「学生論」というより純粋に社会科学の話になるのかも。



ミクロの話

一方、ミクロ視点では「システム」ではなく「個々の事情」がメインとなります。また「中身のないモデル」に陥りがちだという指摘もできると思います。例えば"どんどん海外に行こう" "英語くらいできなきゃいけない"といった言論に対しては、言われなくても分かっているよ!とツッコミたくなるし、本当に英語ができないとダメなの?と反論したくなる。わざわざその記事を読まなくても、どこかで聞いた言葉の反芻でしかない…(議論として)中身のないモデルだからです。

ここに体験談が加わると事情は少し変わってきます。その人ならではの体験談は、blogやtwitterだからこそ得られる情報であり、非常に参考になりますよね。だけどちょっと待った。その記事が「体験談」というだけならそれでもいいと思います。だけど「自分が◯◯だったから他の皆もこうあるべきだ」っていうのは、ミクロな学生論に話をすり替えるのはちょっと卑怯じゃないですか?個々の事情が違うのだから、留学情報としては有意義であっても議論としては中身のないモデルになってしまう。

ではどういう内容なら生産的なものになるか、と考えたときに「システム」に近似させるのがいいんじゃないかなーと思います。つまり「◯◯に対して◯◯だと思ってる学生は◯◯するといいよ」みたいな。例えば「将来は国際協力機関の仕事に携わりたいけど、よく分からないからとりあえずNPOでボランティアしようと思ってる学生は、ボランティアもいいけど学問を習得することを意識した方がいいよ」みたいな。長いね。「国際協力学生こそ教室の授業を活かすべきだ!」みたいな感じ。このように対象のモデルを絞って、具体的な主張をすると、マクロの議論に近くなる。建設的な反論だってできるし、色々な意見が集まるほど議論が醸成されていくはずです。さらに体験談があれば最高ですね。



好きじゃ…ないよ///

んで、まぁなんで私がミクロの「学生論」が嫌いなのかというと、議論として中身がなくて個々の事情・価値観に依存しすぎているように感じられるからなんです。

ある人は英語学習の大切さを唄い、
ある人は会計知識の大切さを唄い、
ある人はITリテラシーの大切さを唄い、
ある人は大学の授業を活かせと唄い、
ある人は教室では学べないことがあると唄い、
ある人は海外に行くと視野が広がると唄い、
ある人は日本のことも全然知らなかったと唄い、
ある人は途上国に関心を持てと唄い、
ある人はホームレス問題に関心を持てと唄い、
ある人はバイトくらい経験しておけと唄い、
ある人は学費でバイトの時間を買うなと唄い、

こんなんマジメに付き合っていたらそれだけで大学生活終わりますわ。どれが正しいとかどうあるべきかとかではなくて、そりゃどれも正しいでしょうが、どう過ごすかは個々の事情と価値観と比較考慮の末に決まるものですよね。だから、どこかで聞いたおなじみのフレーズを繰り返されても何も得るものはないと感じてしまうのです。なんというか根本的に「学生とはどうあるべきか」っていう議題の設定がどうなんでしょう。



まとめ

「学生とはどうあるべきか」
「だから自分はこれをやる」

ではなくて

「自分自身がどうありたいか」
「そのために学生時代を自分はどう過ごすのか」

っていう考え方じゃダメなんでしょうか、と思ってしまうのです。
まぁ、だからどうってわけじゃないですけど、たまに学生論エントリーがTLに流れてくるので、そういうのを流す方々へのささやかな反抗エントリーです(テヘペロ



【追記】

だれか「テヘペロは免罪符じゃないぞファック」ってエントリー書いてくれたら読みます。