2012/03/09

私が「学生論」を嫌う理由

"学生とはどうあるべきか"という「学生論」に関するエントリーがしばしば見受けられるのですが、中身云々以前に「学生論」を持ち出すこと自体に対してあまり好感を持てません…という話。



2つの視点

ただ、ここで注意しておきたいのは「学生論」には2つの視点があるということです。1つは「現代日本社会において学生(という身分)はどうあるべきか」という一般的学生論、もう1つは「学生として(私たちは)どのようなキャンパスライフを送るべきか」という個別的学生論です。

例えば "日本の大学生の英語力が他国に比べて劣っている" という命題を考えましょう。このとき「1人1人が積極的に英語を学ぶべきだ」というのが後者の視点ですが、それに対して「大学入試をTOELFで代用すべきだ(大学生はTOEFLの結果が良い者であるべきだ)」というのが前者の視点です。ミクロの視点、マクロの視点と言い換えてもいい。私が好きではないのはミクロの方の議論です。



マクロの話

私見ですが、マクロ視点に関するエントリーではより建設的な議論が行いやすいと感じています。1人1人の学生ではなく、日本全体あるいは特定の大学といった規模での話になるので「システム」自体が議論の対象になるからです。個々の英語学習ではなく、全体の話であれば「現状はどうなっているのか」「何がなぜ問題なのか」「ではどうなるのが理想なのか」「そのためにどのような施策が考えられるか」「考えられる選択肢それぞれのメリット・デメリットは何か」「最善と思われる選択肢はどれか、それを実行するにはまずどうしたらいいか」といったことを考えられるからです。価値観や持っている情報、条件によって色々な意見に分かれるでしょうが、多くの意見を聞けば聞くほど思考が錬磨されていくので、"考える"という意味ではそれなりの生産性があるのではないでしょうか。ただ、ここまでくると「学生論」というより純粋に社会科学の話になるのかも。



ミクロの話

一方、ミクロ視点では「システム」ではなく「個々の事情」がメインとなります。また「中身のないモデル」に陥りがちだという指摘もできると思います。例えば"どんどん海外に行こう" "英語くらいできなきゃいけない"といった言論に対しては、言われなくても分かっているよ!とツッコミたくなるし、本当に英語ができないとダメなの?と反論したくなる。わざわざその記事を読まなくても、どこかで聞いた言葉の反芻でしかない…(議論として)中身のないモデルだからです。

ここに体験談が加わると事情は少し変わってきます。その人ならではの体験談は、blogやtwitterだからこそ得られる情報であり、非常に参考になりますよね。だけどちょっと待った。その記事が「体験談」というだけならそれでもいいと思います。だけど「自分が◯◯だったから他の皆もこうあるべきだ」っていうのは、ミクロな学生論に話をすり替えるのはちょっと卑怯じゃないですか?個々の事情が違うのだから、留学情報としては有意義であっても議論としては中身のないモデルになってしまう。

ではどういう内容なら生産的なものになるか、と考えたときに「システム」に近似させるのがいいんじゃないかなーと思います。つまり「◯◯に対して◯◯だと思ってる学生は◯◯するといいよ」みたいな。例えば「将来は国際協力機関の仕事に携わりたいけど、よく分からないからとりあえずNPOでボランティアしようと思ってる学生は、ボランティアもいいけど学問を習得することを意識した方がいいよ」みたいな。長いね。「国際協力学生こそ教室の授業を活かすべきだ!」みたいな感じ。このように対象のモデルを絞って、具体的な主張をすると、マクロの議論に近くなる。建設的な反論だってできるし、色々な意見が集まるほど議論が醸成されていくはずです。さらに体験談があれば最高ですね。



好きじゃ…ないよ///

んで、まぁなんで私がミクロの「学生論」が嫌いなのかというと、議論として中身がなくて個々の事情・価値観に依存しすぎているように感じられるからなんです。

ある人は英語学習の大切さを唄い、
ある人は会計知識の大切さを唄い、
ある人はITリテラシーの大切さを唄い、
ある人は大学の授業を活かせと唄い、
ある人は教室では学べないことがあると唄い、
ある人は海外に行くと視野が広がると唄い、
ある人は日本のことも全然知らなかったと唄い、
ある人は途上国に関心を持てと唄い、
ある人はホームレス問題に関心を持てと唄い、
ある人はバイトくらい経験しておけと唄い、
ある人は学費でバイトの時間を買うなと唄い、

こんなんマジメに付き合っていたらそれだけで大学生活終わりますわ。どれが正しいとかどうあるべきかとかではなくて、そりゃどれも正しいでしょうが、どう過ごすかは個々の事情と価値観と比較考慮の末に決まるものですよね。だから、どこかで聞いたおなじみのフレーズを繰り返されても何も得るものはないと感じてしまうのです。なんというか根本的に「学生とはどうあるべきか」っていう議題の設定がどうなんでしょう。



まとめ

「学生とはどうあるべきか」
「だから自分はこれをやる」

ではなくて

「自分自身がどうありたいか」
「そのために学生時代を自分はどう過ごすのか」

っていう考え方じゃダメなんでしょうか、と思ってしまうのです。
まぁ、だからどうってわけじゃないですけど、たまに学生論エントリーがTLに流れてくるので、そういうのを流す方々へのささやかな反抗エントリーです(テヘペロ



【追記】

だれか「テヘペロは免罪符じゃないぞファック」ってエントリー書いてくれたら読みます。

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