2012/02/08

大前研一・イチローに学ぶ"人生ポートフォリオ"。

私事ですが学業、事業、コンペと1月に一斉に山場を越える形になったので、現在は少々ダラけそうな状態です。そこでちょっぴりモチベーションが上がりそうな話題を出そうと思います。年末年始に某SNSに投稿した話の短縮版。



自分を変える3つの方法

人が変わりたいと思ったとき。何か大きな目標が出来たり、悔しい思いをしたり、このままじゃダメだと焦燥感に駆られたり。そういう時、どうやって人は変わることができるのだろうか?BBTの大前氏曰く「決意や覚悟じゃ人は変わらない、人が変わるには3つの方法しかない」だそうです。すなわち

①時間配分を変える
②場所を変える
③付き合う人を変える

確かに、決意の表明をしても生活が変わらないのであれば何も変わらないわけで。具体的に行動と環境を変えなければ意味がない。例えば①であれば、電車でぼーっとしている30分を、面倒なメールの返信に当ててみてはいかがでしょうか。それだけでも生産性は大きく変わると思います。もちろん、ぼーっとする時間があるからこそメリハリがつくって人もいるでしょうけどね。

この①②③は、①>②>③の順序で実行しやすいんじゃないかと思っていました。そして、実行難易度に比例して効果は大きくなる。難易度が高いということは、変化の度合いが大きいということを意味するわけです。住む場所を変えたり、付き合う人を変える…というのは結構ハードルが高いですよね。

なのでその法則を逆手に取れば効果は大きいはず。「1人暮らしをする。ただし、わざわざやる以上は3年以内に結果を出す。そのために有意義な生活を送る。」「◯◯の枠に捉われて進歩のないAサークルの人々とは距離を置く。ただし、わざわざやる以上は3年以内に結果を出す。そのために◯◯なコミュニティに積極的にコミットする。」みたいなね。一歩間違えると転居リスクや痛いヤツになってしまう恐れがある、ってのは否定できないけど。人生台無しになるレベルの失敗さえしなければ、やらない後悔よりやって後悔した方がいいかもしれません。

…とまぁ、こういう感じのことを考えていたんですよ。①に関してはムダ時間を徹底的に削ることでクリアしてきたので、自分がさらにレベルアップするには②③しかないんじゃないかと私は考えていたのです。



人生ポートフォリオ

しかし「①時間配分を変える」という言葉は、ビジネス書やライフハックで見るような「ムダ時間の削減」「時間の有効活用」という意味の他に「取捨選択」という意味があるのだと気付きました。ちょうど1ヶ月くらい前ですが、イチローの学生時代の話を初めて知ったことがきっかけです。

イチローは日本で最も有名なメジャーリーガーですが、彼は中学校の頃まで野球だけではなく勉強でもかなりの好成績だったそうです。ところがどうしてもオール5を取ることができなかったため「自分は勉強では1番になれない」と考えて「野球で1番になろう」と決意します。高校入学後は勉強を放棄して成績はドン底、代わりに生活のすべてを野球に注ぐようになったとのことです。つまり

中学まで→ 野球5:勉強5
高校から→ 野球10:勉強0

ということになります。おそらく多くの大学生を同様に表すとこんな感じになるんじゃないでしょうか。何となくのイメージですが

ムダ時間を削る前→ 勉強1:バイト2:サークル2:遊び1:空白の時間4
ムダ時間を削った後→ 勉強2:バイト3:サークル3:遊び2

確かにこれで色々と上手く回ればプラスではありますよね。でも、イチローの例に比べると、ムダ時間を削っただけでは大きな変化が得られるようになるとは思えない。ここで一念発起して勉強を頑張るとします。そのために他の活動や余暇を減らしました。すると

勉強7:バイト1:サークル1:遊び1

これなら一流ゼミだって合格するだろうし、単なる頻出問題回答マシーンを越えてより有意義な学習だってできるはずです。予め目標を決めておいて、それが達成できたら休んでいた分バイトを頑張るなり、サークルや友人との遊びを思う存分楽しめるはず。少なくとも、漠然とした不安を持っているよりも遥かにプラスだと想像できるんじゃないでしょうか。

このように、「①時間配分を変える」という言葉の真意もまた、空間や人間関係と同じように環境設定の問題なのです。あるいは選択と集中という言葉で置き換えても良い。つまるところ「時間」という有限な資源のもとでいかに自分の行動を選んで行くかというポートフォリオ形成の問題なのです。



生き方を変える

大前氏が言うように、人が変わるには時間配分・場所・コミュニティを変えるしかない。それは小手先のテクニックではなく「自分がどういうことにのめり込んで行きたいか」「どういう場所でどんな生活がしたいか」「どんな人たちとどういう風に関わっていきたいか」といった生き方そのものを変えるということです。

イチローが他のものを捨ててでも野球にのめり込むという意思決定をしたように「(当面だけでもいいから)これに集中する」という選択ができれば、そしてその選択に適した環境作りを厭わなければ、面白いほど自分を取り巻く状況が変わって行くのではないでしょうか。



ということを最近考えておりましたとさ。
私自身の生活にも適用させてるんだが、その話は長くなるのでまたの機会に。