2012/05/08

シンプルって本当に大事なことですか?

simple&cleanってどうなんでしょうかって話。
アンチテーゼ大好き。

twitterを眺めていたらこんなツイートが目に入った。

「本当に頭が良い人は説明が分かりやすい」は「俺が分かるように話して欲しい」が悔しくて言えない裏返しの言葉だと自覚してますか。あなたは人の頭の良さ を格付けできる頭をしてません。また、難しい物事を簡単に説明されて理解できたと思った場合、何を意図的に省略されたか考えたことがありますか。 via @Neos21

なるほどーと思ってすぐさまRT。シンプルに考えること、伝えることの重要性は強調されているのに比べて、そのマイナス面…つまり、シンプルにすることによって失われてしまうものの重要性って注目されていないですよね。



シンプルとは削るということ

読書を例に挙げると分かりやすいと思います。
例えば「分かりやすく解説している新書」と「大学の講義で指摘テキストとされている厚い本」なんかがまさにシンプル/複雑をよく表しているんじゃないでしょうか。

具体例として『経済古典は役に立つ』と『入門経済思想史 世俗の思想家たち』の組み合わせや、『落ちこぼれでもわかるマクロ経済学の本』と『マンキュー マクロ経済学』の組み合わせを挙げてみます。

これまでどんな経済学者たちがいて、どんな社会背景のもとで、どんなことに問題意識を持って、そしてどんな解決策(理論)を考えたのか…「人」に焦点を当てて経済学の歴史を概観するのが『経済古典は役に立つ』や『入門経済思想史 世俗の思想家たち』 です。分量・レベルを考えると前者のほうが圧倒的に読みやすいのですが、後者で説明されている魅力的なエピソード(マルクスとエンゲルスがどういう想いで 『資本論』を書き、世間からどんな反応があったか?など)が前者ではあまり紹介されていません。先に後者を読んだ私としては、後から前者を読んでちょっと 物足りなかったというか、友人の講義ノートを書き写すだけのような無味乾燥な印象を受けました。竹中先生ならではの視点や、日本の現状を当てはめて考える という意味では非常に面白かったですが、経済思想史の知識を仕入れるという意味では復習以上の成果は挙げられなかったかなぁというのが正直なところです。

また、マクロ経済学の学習参考書として利用した『落ちこぼれでもわかるマクロ経済学の本』と『マンキュー マクロ経済学』は前者→後者の順番で読んで大正解でした。もともと高校時代に政治経済をマスターしていた人はいきなり本格的なテキストを使っても大丈夫だと思うのですが、私は理系だったため、そういう状態ではなかったんです。前者は非常に分かりやすい。そもそも経済学ってなんやねん、という話から始まってマクロ経済学 という科目(学問分野でさえないレベル)のイメージを掴むにはピッタリだと思います。しかし、例えば家計の消費行動を説明する消費関数C=C0+cY (生活必需品のように所得に関係なくC0の消費を行う+所得Yが増えるほど消費量cYが増えますよという式)は経済学の授業で誰でも習うと思うのですが、 このC0とかcってどうやって決まるの?どういう人間のどういう根拠に基づいたどういう行動を意味しているの?といった「なんでそうなるの?」部分は放棄 されているわけです。だからこそ分かりやすいのですが、しかし理屈が分からないから記憶しにくい。応用できない。そういうときに「なぜなに?」部分にも言 及して概説してくれる後者を読むと非常に良く理解できるわけです。

このように、シンプルであることは、前提知識や読 解力・思考力が不足しているときには大きな助けになります。専門知識を習得するときに、これまでこういった「分かりやすさ」がないがしろにされてきたこと は問題だと言えるでしょう。何より、社会で関わる人間のほとんどがバックグラウンドも知的水準も異なるわけですから、互いに「相手に分かりやすい伝え方」 を心掛けることはマナーの1つだと断言していいでしょう。一方で、いざ深い話をしようとしたときに、いざきちんと理解しようとしたときに、シンプルな情報 だけでは明らかに不十分だと思うのです。

そもそもシンプルという基準自体が移り変わっていきますよね。小学生のころ は新書さえ読むのに苦戦したはずですが、いまこのエントリーを読んで内容を理解できている人であれば新書を読むことに困難はないはずです。シンプル/複雑 の基準自体が自分の知的能力によって推移していく。となると、世の中で「シンプルを徹底せよ」という風潮のもとでテレビ番組・書籍・ブログ記事etc… 様々な情報が形成されていると思うのですが、あえて「シンプル慣れした人が一歩上を見るための情報」がもっと増えてもいいのではないかと思います。



伝えたいことってそんなにシンプルか?

そこでまた自問自答なのですが「自分が伝えたいことって本当にそんなシンプルなことなのか?」と思ってしまったわけです。有名ブロガーやアルファツイッタラ ―の方々って、良くも悪くも「◯◯の人」というシンプルなキャラ作り・メッセージの発信に成功しているケースが多いです。ゆるふわお洒落だったり、ノマド ライフを楽しんでいたり、バックパッカーだったり。マーケティングとしてはそれで正解だと思うのですが、本当に人間ってそんなシンプルになれるものなんで しょうか。

例えば私であれば、どんな勉強をしているか?と言われると現在のメインはファイナンスです。ですが、それ も地域や途上国問題を考えるツールの1つとしての位置づけですし、大学に入って最初に書いた論文はアダルトチルドレンという発達教育学・心理学・社会学的 なテーマを扱ったものでした。結局、様々なバックグランドがあった上でのファイナンスなので「とりあえず日系金融機関から内定取りたいな〜」っていう人と は根本的に話が合わないのです(ケンカ的な意味ではなく実感・共感できないという意味ですよ!念のため)。

当たり前のことなのですが、人間も「人生=情報の羅列/個々のエピソード=個々の情報」という意味では、書籍に書かれた情報と同じで、本来であればそこまでシンプ ルにできないものだと思うのです。とはいえ、もちろん簡潔に自分を紹介する能力が重要なのは間違いないです。ただ、シンプルであることは必ずしも至上命題 ではない、もっと複雑で多様なものに対して寛容であってもいいのではないかと思います。

伊坂幸太郎の「人生は要約できねぇんだよ」(『モダン・タイムズ』)という言葉がまさにこういったことを表してるかなと。

何が言いたいかというと、要約したらはみ出てしまうような、そういった物事の価値も肯定したいねって話です。人生で言えば、ムダに過ごしたと思った時間も、 実は大切な時間かもしれないということです。会話や文章で言えば、本当に重要なことはまとめの文章だけを読んでも理解できないんじゃないかということで す。もしも仮に、就活とか入社とか入学とかで「自分のキャラクター」に縛られてしまうのであれば、シンプル化・レッテル化を促すカテゴライズが息苦しいの であれば、余計なことを考えずにありのままの自分を肯定してあげてもいいんじゃないでしょうか。

「◯◯ちゃんってこういうキャラだったんだ」と言われたら「あなたはいつから他人をカテゴライズするほど偉くなったんですか」と言い返せばいい。心の中でねw



余談ですが(そしてこの余談が長いのですが)出版甲子園というイベントにむかし応募したときの資料を見つけたので、これを掲示しておこうと思います。まさに「シンプルでは伝えきれないこと」を伝えたかったんだな自分は、と思ったので。若干、中2臭いのは仕様です。



◆タイトル

国境を越えた教室


◆企画概要

ジャンル:エッセイ
企画概要:

私が昨年小学校で行った特別授業を本にしたいと思います。日本の小学校と、バングラデシュという途上国の子供たちとを、テレビ電話で繋ぐという授業を行いました。

そ して、チャレンジする中で多くの困難や悩みに直面しました。関係者様との折衷、メンバーとの企画運営、その授業が本当に誰かの役に立つのか、といった点に ついてです。すべての課題を上手く解決できたわけではありませんが、子供たちの笑顔や仲間の存在によって、授業を無事に成功させることができました。

このエピソードを通して「挑戦し、困難や悩みと正面から向き合うこと」の大切さを伝えたいと思います。


◆企画の背景

終身雇用が崩壊し、キャリアの多様化が進むと言われている現代において、多くの若者が「(仕事に限らず)どのような生き方をするか」について悩んでいると思います。

で すが、何も知らないまま、自分で自分の限界を決めてしまうことが多いように感じます。例えば「途上国の問題に興味がある」けど「自分は女性だし、治安・健 康面で不安のある地域で働くのは抵抗がある」という人は「日本でも国際協力に関わる方法はある」「地上国でも安全な場所はある」といったことを知りませ ん。たまに途上国で活躍する人のエピソードを読み、あこがれるだけで終わってしまいます。

普通の学生が、小さなきっかけで、ちょっと特別なことを体験した。億万長者のサクセスストーリーではありませんし、途上国の問題を解決できたわけでもありません。「等身大の学生の、等身大の挑戦」です。だからこそ、多くの若者が生き方を考えるヒントになると思っています。


◆自己アピール

この特別授業は、わずかではありますが、東京都の教育委員会から予算を降ろしてもらえたものです。バングラデシュ側では、ノーベル平和賞を受賞したグラミン銀行という機関の協力を得ました。

私自身は、特別な能力やコネクションを持っていない普通の学生でした。大学1年次に「世の中には面白いものがたくさんある」と感じて、積極的にイベントや旅行に出掛けた結果、偶然「教育関係のネットワーク」「バングラデシュのNGO」関係者の方々と知り合いました。

大学2年の春に、教育関係者の方から誘われたバーベキューにて「出張授業を大学生がやると面白いかもしれない」という先方の軽い言葉がきっかけで今回の授業も実現しました。グラミン銀行の協力を得たのも、ダメもとでメールしたのが始まりでした。

海外経験も少なく、英語のメール1つ送るのにも試行錯誤でしたが、「困難や悩みと向き合う覚悟」と「挑戦する気持ち」さえあれば、誰にでも可能性は広がっていることを自分自身の経歴で証明できると思っています。


◆ターゲットと読者メリット・企画のねらい

大 学生活をどう送ろうかと悩んでいる高校生~大学1、2年生に対しては、ひとつの参考例となると思っています。また、キャリアについて考えている大学3、4 年生や若手社会人の方には、少し特別な体験をした学生がどんな経緯でそこに至ったのかを考える参考にすると思っています。

具体例としての参考以外にも、いま現在何かに取り組んでいる人が「(自分より年下の/自分と同じくらいの)大学生も困難を乗り越えてきた」ことを実感し、困難と向き合うモチベーション向上のために読むことも考えられます。

他にも、教育や途上国問題、IT技術の関係者にとっては、ひとつの実験例として読むことができますし、「テレビ電話で世界が繋がる」「子供たちの笑顔を見たい」といった原点回帰の要素も提供できると考えています。


◆類書との差別化

類書:
社会起業家やボランティア団体のエピソード本

この本のオリジナリティ:
純粋に「社会問題を解決する」わけではない、という点です。
何かに挑戦する時「それが誰かのためになる」と目に見えて分かることのほうが少ない。その意味で、より一般読者に近い視点からエピソードを提供できると思っています。


◆構成案

①好奇心だけで動いた1年
大学1年の時の、教育関係者やグラミン銀行の方々と知り合うまでの経緯をまとめます。当時はひたすら世界の広さに憧れて様々な人々と出会っていました。

②大抜擢のバーベキュー
多摩川でバーベキューをしている最中に、小学校の特別授業をやってみないかと誘われて、軽いノリで思いついた企画案を提示したことから始まりました。

③チーム結成!
提携しようとしたNGOとの話が破産になり、精神的にも追い詰められた状況でしたが、グラミン銀行の方々の活発な言葉や、メンバーが集まったことから道が開けました。

④本当にこれでいいのか…?
刻一刻と迫る授業日。メンバー達と共に準備を進める中、素直に楽しめない自分自身に戸惑うようになりました。教育や途上国の課題と直接対峙することになり、妥協しながら企画を進めている状況だったのです。

⑤国境を越えた笑顔
ついに授業当日を迎え、ハプニングの連続もなんとか乗り越えていきます。しかし未だ自分なりの答えを見出せない私の目に、子供たちの笑顔が映ります。

⑥その瞬間を探して…
授業を終えて、本当に自分が求めていたものがなんだったのかを理解しました。課題点や失敗だらけですが、自分にとっては大きな一歩でした。


◆見本原稿

(重要なシーンの文章を実際に書いてみて下さい)

笑顔が、国境を越えた。

それは特別な光景ではなかった。
たまにSkypeで海外の友人と話していた私にとって、それは特別な光景ではなかった。

そのはずなのに、体中の震えが、止まらなかった。

画面の向こうで手を降るバングラデシュの子供たち。
画面の向こうへ手を降る日本の子供たち。
向こうからは、赤い丸と緑の国旗。
こちらからは、赤い丸と白の国旗。

遠く離れたふたつの国の子供たちが、本当なら出会うこともなかったはずの子供たちが、
言葉も通じないはずの子供たちが、笑顔を共有化した瞬間だった。

単にテレビ電話が珍しいから、海外の人の存在が珍しいから、子供たちがはしゃいでいる。
それだけかもしれない。
たった半日の授業で本当の異文化理解なんてできるわけがない。ちょっと触れてみただけ。
それだけかもしれない。
10年後には何も覚えていないことだってありうる。数ある娯楽の小さな1つに過ぎない。それだけかもしれない。
農村部の貧困問題が解決されたわけでもない。村の外の世界を少し覗いてみただけ。
それだけかもしれない。
これは私達の自己満足でしかなくて、誰かのためになんかならないのかもしれない。
ずっと抱えていた悩みが、頭の中を一斉に駆け巡る。

だけど、頑張って良かった。
子供たちが、遠く離れた場所で、同じ時を共有した。
その瞬間に出会えて良かった。

悩んでいる自分に向かって、もう1人の自分が心の中でそう言った。
何も解決できてはいないけれど、この素敵な瞬間に出会えたことが、素直に嬉しかった。

これまでずっと悩んで来た。
大学に入っていろんな人がいると知った。いろんな問題があると知った。
誰かのために何かをしてみたかった。
生まれて初めて、途上国に行った。バングラデシュの子供たちと話した。
いろんな問題を直接見て「世界平和」という言葉の重さを理解した。

しかし「世界平和」がどんな状態なのか想像できなかった。
何を目指しているのか、その先にどんな世界があるのか、よく分からなかった。

この授業を通してようやく分かった。
言葉も、文化も、経済状況も、何もかも違う子供たち。
彼らが一緒に笑える瞬間。笑顔を共有できる瞬間。

それは一瞬かもしれない。誰かを救うことなどできないかもしれない。
だが、その瞬間こそが自分の求めていたものだった。

ふと高校の文化祭を思い出す。
普段はそれぞれのグループで別々だったクラスメイトが力を合わせて作業する。
普段は特定の授業でしか会うことのない先生たちが入り交じって手助けする。
普段はそれぞれの生活をしている親御さん、見学に来る中学生、他校の友人たち。
皆がステージを取り囲み、出し物のダンスを楽しむ。

本来なら出会うはずのなかった人々が、笑顔を共有する瞬間。
これが私にとっての世界平和だった。

軽いきっかけから始まった挑戦。困難や悩みと向き合い続けた日々。仲間たちの努力。
学校に働きかけてくれたY先生のサポート。
バングラデシュの悪環境のなかで準備をしてくれたAやF氏の協力。
国境を越えた教室が、子供たちの笑顔が、私に答えを与えてくれた。



あいたたたたた…(/>ω<)/
うん、これは自分で読んでて恥ずかしいっすわー!笑

まぁ… ですね、体験としては面白いと言ってもらえたんですよ。ただ、例えば学校を建てましたとか、NPOを設立しましたとか、そういう分かりやすさが欲しいか ら、上手く「コンセプト」を1本絞ってもらえないかなと注文されたんですよ。その注文は一理ありますよね。だってその方が読者は獲得しやすいですから、ど う考えても。

でも、それっておかしな話なんですよ。学校を建てました?NPOを設立しました?…それって全然本質的 ではないんですよ。むしろ学校経営が継続できずに状況をより悪化させてしまうケースだとか、法人格を取得しても(社会起業が活発と言われるアメリカでさ え)ほとんどの組織が助成金依存で手段・目的の逆転が起きてしまっている。だからこうした行為が悪い、というのではありません。ただ、シンプルで分かりや すい情報の背後には、こういった問題を除外しているという現実があるわけです。

上に書いてあるように、私が伝えた かったのは「挑戦し、困難や悩みと正面から向き合うこと」です。シンプルな思考放棄に逃げないで、何が正しいのか・どうすべきなのかを考え抜くことも、そ のメッセージに含まれています。だからありのままに思ったことや悩んだことを伝えたかったんですよ。等身大の立場から。…と言いつつ、冷静に考えるとマー ケティング的に何の差別化もできていなくてアウトなんですけどね。

そんなこんなで反発した私は「だったらいいです」みたいな感じで取り下げたのですが。…うん、若いな。最近はこの若さって結構大事なんじゃないかとも思っていますが。



ザッポスという本があってだな


んでんで、私が描こうと思っていたコンセプトに最も近い書籍を見つけたので最後に紹介しておこうと思います。amazonにバイアウトされた企業ザッポスが成功するまでの試行錯誤を描いた『顧客が熱狂するネット靴店 ザッポス伝説―アマゾンを震撼させたサービスはいかに生まれたか』 (トニー・シェイ)です。CEOである著者が、幼少期から大学時代までありとあらゆるビジネスを思いついてはチャレンジし、失敗していくなかで様々なこと を学んで行き、そしてついにザッポスを成功へと導くことになるという体験談です。各エピソードの終わりに「この体験から学んだこと」のリストが示されてい るので、まさに試行錯誤→学習のサイクルを追体験できるようになっているわけです。

私が甘かったのはこういう部分で しょうね。もし本当に「試行錯誤することや困難に向き合うことで学びがあるよ!」というメッセージを送るのであれば、「失敗・悩み」と「学び」とを伝える 工夫(例えば『ザッポス伝説』のリストのようなもの)を組み込む必要があったわけだ。シンプルではない内容を、シンプルなコンセプトに落とし込み、しかし 重要な部分を省略せずに伝えるようデザインする。こういう視点で言えば、数ある起業家の書籍の中でも『ザッポス伝説』はひときわ輝いていると思います。



…あれ、結局何これ、本の宣伝?w

って思ったヤツは甘い。
シンプルにまとまらないところに良さがあるんだよ。

って考え方じゃダメだと分かったね。
デザイン思考というか、いかに複雑な内容を受け止めさせるシナリオを設計するかって大事ですね。


というお話でしたとさ。
じゃあのノシ