2012/06/28

歩く黒歴史。

こんにちは。歩く黒歴史です。
まぁ色々と言いたいことはあるのですが、とりあえず聞いてくれ。


まず、1点目。


ゆずたそ流GD必勝法という記事を少し前に書いたんですけど、あれはダメだ。致命的な欠陥があることを思い知らされました。(そもそも上から目線すぎて失礼。他の人間に勝手に自分を規定されたらむかつくよね。)

その必勝法では、基本的に「解決すべき課題は何か」「チームメンバーがどうしたら満足するか」の2点を観察して「どういう段取りで進めるか」を考え、ファシリテーターとして振る舞うのがポイントでした。

ところがこのやり方には2点の前提がありまして

・制限時間が30分以上であること
・議論に使う紙やマーカーが用意されていること

ここ!
この状況が前提であることを意識できていなかった。

そして、仮に制限時間が5分とか10分だった場合は、あるいは口頭での議論だった場合は、はっきり言ってこのやり方では良くないっすよね。チームを思い通りに動かすのに、5-10分で相手の性質を掴むっていうのはちょっと難しい。一流のセールスマンならできるのかな。

で、相手の特徴を利用できないってことは、議題そのものに対する論理だけで戦うしかないわけですよ。ここで問題があって、私は普段「紙に構造・流れを書き出す」ことで論理を示すんですよ。前提が相手と共有できていれば口頭でも大丈夫なケースが多いけど、紙がベスト。その方がお互いに分かりやすいしね。

でも紙なかったらダメじゃん。自分の得意なスタイルに慣れすぎた結果、前提条件が崩されると「頭では分かっているのにそれを上手く伝えられない」みたいな状況になる。段取りを示せない論理なんて、ルーの入っていないカレーライスと同じですよ。それライスじゃん!みたいな感じ。

(ここで譲歩っ!)

確かにさ、自分の得意なスタイルに持ち込むってのは大事なことだと思う。例えば、普段から大きめの紙とマジックペンを持ち歩いておくとか。そういうスタイルで戦うことが許されない舞台だとしたら、そのステージは自分に向いていないことの証拠なのでしょう。ならば、そのステージでの戦いが得意な人にパスするのもアリだと思う。そのための社会ですしね。色々な人が社会を構成してるのだから、比較優位を活用してあげればいいんですよ。

(からの反論っ!)

でもさ、その考え方には2つ問題があるんですよ。1つ目は20代前半で得意なスタイルを固定するという判断はリスク大きいよねってこと。2つ目はそもそもグループディスカッションという枠を超えて、自分の中で「30分以上の猶予がある戦い方」をしているんじゃないかってこと。

「時間を費やすこと」と「成果物の質が上がること」にはかなり強い相関があると、私は考えています。経験則的に。だから、30分以上の時間を掛けて行動すること、を意識して何らかの準備・段取りを行うことは大事だと思っています。ここまではいい。

「じゃあお前、いまから10分で、一体どんな価値を生み出すの?」

って自問自答したときに、24時間365日いつでも10秒以内に回答できるかって考えると、できない気がする。そこまで極端な問いではなくてもさ、今から10分で、目の前の何かに対して本気になれるか、結果を出せるか、って意識することはすごく重要だ。飲み会で場を盛り上げるでも、授業の課題をやるでも何でも同じだと思います。

つまり、限られた短い時間を最大限活かすつもりで生きているのかってこと。具体的には「今から10分で何かを得る、何かを生み出す」ことができるのかってこと。

少々極端な話をしているけどね。でも私は、死ぬまでに知りたいことは山ほどあるし(色々知るほどなぜか知りたいことが増えていく謎)、死ぬまでにやりたいことも山ほどあるし(色々知ったらそりゃやりたくもなりますわ)、とにかくね、墓場までの特急列車を楽しむには、体感時間を圧縮するしかないと思うんです。限られた時間を充実させるしかないと思うんです。



そして2点目。


あー、なんというかですね、twitter辞めようかなー、的な。順を追って話す。同世代の人々の話と、SNS(コミュニケーション)的な話がミックスした感じで行きます。


同世代の話。同い年で、スタンフォードの会員をやってるやつとか、数千万円稼いで家族の借金を返したやつとか、世界銀行や国連主催の企画でモデレーター・プレゼンテーターをやってるやつとか、まぁ頑張ってる人たちがいるわけですよ。そういう人と話してて「やっぱこいつ面白い」「一緒にいたい」って思うんだよね。でも同じくらい「負けたくないな」って、やっぱり思うんだよね。勝ち負けじゃないんだけどさ。

んでも、そういう人たちを見ていて気付いたんだけど、あんまりSNSとかblogとかやってなかったりするんですよ。リア充すぎるというか、インターネットがなくても繋がれるからなんだろうな。


じゃあお前どうなの?って自問自答したときに、うむむ…となってしまうのです。大学入学〜2年目(今から2〜3年前)くらいのときは学生向けイベントとかやってたけれど、もっとピンポイントに社会を狙うべきだなと考えてからはそこまでSNSにこだわる必要もなくなった気がするのです。

仮にSNSを利用した戦略を打つのであれば、既存のユーザーや新しく作るアカウントで十分戦えるくらいの、そういう策を打てる頭脳でなきゃ意味がない。くらいの気持ちで自分を高めないとダメなんじゃないかと。

それでもSNSとかblogとかで、誰かに言葉が届いてくれたら嬉しいな、なんて思ったりもしたが、このブログのアクセスの半分以上は検索エンジンから来ているし、おかげさまでフォロワーも200人くらい減ったし、改めて読み返すと「なんかワクワクしないんだよなー」とか「言葉がせこい」とか自分で思ってしまったり。


なんていうのかな。斜に構えることは悪くないけど、それだけだとつまらなくねーっすか、って話。なんかさ、もういいじゃん。言葉で伝えるからこそ大事なことがあるのと同じくらい、言葉で伝えてはいけないものもあるんだよ、きっと。言葉でどうこう言う段階はとっくに終わってると自分では思っているので。

例えばさ、自分の家でファイナンスの勉強して、たまに思ったことをツイートするよりもさ、ひたすら毎日の経済指標をブログに記録して、とことん時間を金融学習に投入するみたいな。そういうポートフォリオを組む方がいいんじゃないかな。もっとのめり込むべきだと思うんですよ。


SNSは、気になるわ。でもこれダメだよ。「尊敬する人とも気軽に繋がれる」って言っても、SNSを使わなきゃその人と気軽に繋がれないようじゃ、その時点でダメ。本当になんでこんな糞野郎と繋がってくれているのか分からない素敵な方ばかりで申し訳ない気分。そんなものがなくても、メールひとつあれば、一緒に挑戦していけるような、そういうコミュニケーションを意識した方がいいんじゃないかと。

出会うべき人とはいつか出会うって、普通に考えれば当たり前だよな。同じところを目指しているのなら、多少のルートは違っても途中で会うに決まってるんですよ。ってのが次の話の前振りね。



んでもって3点目


国連会議でも世銀でも話が挙がったのですが「経済システムちょっとこれ変えたいよね」っていうトピック。あまり規模が大きいとイメージしにくいと思うのですが、例えばGDPだけじゃなくて地球環境も組み込んだようなモデルをなんとか作れないかなってこと。

で、実際そういうモデルは色々と議論されてはいますよね。そこでですね、お世話になっているNGOには大量の資料があるということで、1つばかし自分でもモデルを作ってみたいなーなんて思ったんですよ。ちょうど今はリオ+20という国際環境会議が熱い時期ですが、そういうところで取り上げられたばかりの考え方を利用して、「自分で推計したらこんな感じになりましたー」みたいな論文を書くのはアリだと思うんです。

そこで問題がありまして。現時点で私の足りない知識を総動員して考えられるのはDSGE(動学的確率的一般均衡 Dynamic Stochastic General Equilibrium)モデルを習得する必要があるな、と。でもこれを学ぶための前段階でちょっと身につけなければいけない知識がいくつかあるんですよ。

で、ですね。大学に入ってからの私の勉強はかなり偏っていたのです。例えば、ミクロ経済学を使って社会問題を分析するモデル構築技術はあるけど、理論の証明がきちんとできないとか。受験生みたいに体系立ててオールオッケーみたいな勉強はしてないなーと。だから知識習得がちょっと大変なんですよね。何と言うか、自分の器を広げる機会を自ら放棄してきた報いが来ているなぁと。


これさ、さっきの10分集中の話の逆バージョンですよね。つまり、30分以上の段取りとか戦略をきちんとできていないってこと。本当はもっと広げて挑戦すべきだったのに、要領良くやろうとしてピンポイントでしか狙っていない。それを極めているならまだいいよ。その特定の分野の知識だけで論文がこれに載りました、その研究で実際にこういう問題を解決しました、みたいなさ。いや、できてねーじゃん、っていう感じ。

もっとさ、対象と向き合うことを大切にしたいというか、さっき挙げたようなスタンフォードな人々はさ、そういう部分が出来ていて、悔しいけれどそれが自分にできていない部分だと思うのですよ。信念とか熱意と言い換えるのが一般的かもしれない。彼らと同じ舞台で戦うためには、下手なこだわりとかSNSやって当たり前みたいな習慣とか、そういうものを捨ててでも目の前のことに全力投球する必要があるんじゃないかと。

何が言いたいかというと、投資です。時間とか体力とか精神とかお金とか。挑戦するものに対する投資を妥協するなってこと。マッキンゼーの人から「色んなことを知りたいという好奇心で動いている」「クライアントや事業を知ることが好き」という話を伺って、なるほどと思ったのですが、そういうことだと思うんです。惚れ込んで貢げって感じで投資すればいいと思うんです。



結論


ここしばらく無難な感じで振る舞ってきたつもりかもしれないが、それはそれでちょっと黒歴史ですわ。さらに感情・自戒まみれで誰得か分からないこのエントリーなんてもっと黒歴史になるはず。liverdoor blogやmixi日記がこんな感じだったのですけどね。

んで、これまでのエッセンスをまとめると、恐ろしいほど当たり前な結論が導出できる。

・10分で成果を出す習慣を付ける
・挑戦対象への投資を妥協しない

つまり

・時間あたりの密度を上げる
・絶対的な時間を増やす

こんだけ。いやー、あれだ。論理で組むべきところの論理が甘くて、論理で組むべきでないところを論理立てることに気を使っている状態だと思う。これ明らかに資源配分を間違っていますねー。

歩く黒歴史って、少しでも前に進んでるなら十分だろ。もうさ、余計なことなんて忘れた方がマシですよ。というわけで、楽しいと思ったこととか、頑張りたいと思ったことをひたすらやるし、そのためにポートフォリオを組み直そうと思うのです。


よし!どんどん黒歴史で行こう!
10分単位で黒歴史を製造してtry&errorで行こう!
スピード上げて、サイクル速度上げよう!

というわけで、少し行動パターンを変えていくよ。
今後もよろしくお願いします。