2012/11/15

Re2:「日本に寄付文化が根付かない」を金融資産市場から問う。

前回エントリーのコメントを送ってくれた @ysnb1 さんから補足情報として、某メルマガの内容を転載してくれました。

備忘録として、簡単な要約とそれに対する私の考えをまとめておきます。



●ここ最近で寄付が盛んになってきた。

・ウィキペディア。
・マラソンの藤原新選手(ニコニコ生放送でプロモーションを行い、わずか一週間で1000万円もの寄付を集めることに成功)
・ソーシャルファンディング系のサイト(特にテクニカル系のプロモーション「俺たちがあなたの未来を素晴らしいものにしてみせる」)
・個人のサイトやブログで寄付を募るのもよく見かけるようになってきている。
・今や寄付活動は「誰もが気軽にできるもの」に変化。


⇒Comment:寄付の金額や効果測定、過去との比較が論じられていないのでこの主張が正しいかは何とも言えないですが、一般の人々の目に留まる機会やツールは増えているのかもしれませんね。



●SNSの興隆、先進諸国の経済の行き詰まり

1:SNSの登場
→他人の個人情報に日常的に触れるように
→日々の共感
→共感し合う者同士が集うコミュニティが形成
→コミュニティの中心人物の魅力に注目が集まる
→その人物を通じて情報交換=支え合う機会が増加(国家:国民:税の関係に近い)
→自分がそのコミュニティを支えるのだという意識
→寄付に繋がる

2:先進諸国の経済の行き詰まり
→人々を素直にさせる(堂々と「金がない」と言える)
→「十分な資金がなければ良いものは生み出せない」が共通認識となる
→寄付の要求を発言する/聴く土壌が成立
→寄付行為に対して価値を感じる、可能性を感じさせる工夫が必要

つまり「自分の利益」=「コミュニティの利益」=「寄付する人の利益」の成立が条件。
そのためには

1.とにかく好きなことをする(共感を生む)
2.その活動を多くの人に伝える(共感を広める)


⇒Comment:論旨については、1つの解釈というか、仮説としては面白いんじゃないでしょうか。

⇒Comment:重要なポイントは、コミュニティの構成員に『共感』を広げることで寄付が集まるという点ですね。前々回のエントリーで私が「非金銭的対価/金銭的対価」でセグメント分けしましたが、この非金銭的対価で「興味を持つ20%」「中間の60%」に対するアプローチを論じました。まさにその部分を補強する考え方だと思います。



●ここで言う寄付とは

< Not >
・震災に対するものとは異なる。
・絶望の穴を埋めるための寄付とは異なる。
(善意に基づくセーフティネット?)

< But >
・自分のための努力→なぜか周りに応援される立場→寄付が集まる。
・自己中心的な活動がなぜだか他人の役に立ってしまう。
・希望の光を照らすための寄付
(可能性に対する投資?)


⇒Comment:どの側面に焦点を当てるか、という問題でしょうね。仮に震災復興であっても、被災地に新しい産業を生み出そうとしている若者たちのブログで寄付を募るのであれば後者です。震災が起きる…といった外部要因がなければ、非営利団体が意図的にファンドレイジング・キャンペーンを行うためには、この主張のように「希望の光を照らすための寄付」を集めるのがベターかと思われます。



まとめると、コミュニティと共感で寄付を増やしましょうという話でした。私が前々回に主張したのは、そういった手法だけではなくて、「寄付に興味のない20%が必然的に寄付してしまう仕組み」「金銭的対価を打ち出す寄付システム」に注目してみるのも重要ではないか、ということですね。

終わり。

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